社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

日記:2019.10.1香港デモ(上)

今日、香港島のデモに参加?(「取材」という言葉はあまり好きじゃないので、こっちの表現の方がまだ良いと思ってます)して、今(午後9時)深圳に戻ってきたところです。

九龍地域で、警察の実弾に撃たれて、高校生が重体だというニュースが入ってきました。

まず、なんとか助かってほしい。

僕が(今日も含め)これまで見てきた限り、香港警察が人に向かって実弾を撃つことは考えられないのですが、事実関係はきちんと受け止めねばなりません。残念です。

最初に、はっきりと言っておきますね。幾ら反論して貰っても良いです。はっきりと言います。

むろん、実弾を発射した警察も悪いです。でも、それ以上に、“桁外れ”に悪いのは、徹底的に警察を挑発し続ける、香港の市民です。そして、そのことを、「正義のヘイト」として賛美し続けるメディア、特に日本のメディアです。

「中国共産主義は悪」「香港民主主義は正義」という前提で、悪を征伐する正義は、あらゆることが許されます。子供が、異宗教者の虐殺を実行する、ISISの組織と、なんら変わりません。

しかし、ISISによる蛮行に(何らかの形で)解釈を探ろうとする個人や団体に対し、日本政府は頭から締め付けを行います。日本の多くの市民も「イスラムは悪」「日本(西側)は正義」と信じているらしいので、その締め付けも当然と受け止めます。

その裏返しが「香港民主主義の正義(高度な自治政治の奪回)」で、こちらは締め付けどころか、何をしようが許され、のみならず賞賛されます。

僕は、「中国共産主義が正義」「イスラムが(就んづくISISが)正義」なんて、これっぽちも思っていません。でも同時に、「香港民主主義が正義」とも、「日本の社会が正義」とも、全く思っていない。

香港のメディアも日本のメディアも、「正義と悪の構図」で物事を語るのは、いい加減に止めてほしいです。

昨日も書きましたが、ニュースを見て関係ない人を犯人に推測するコメントを書き、後にその人の潔白が証明され、しかし仮にその事が基になって精神的な変調が為されたり(最悪自殺)したときに、おれは関係ない、と無視を決め込んでしまうヤフコメ民と、ちっとも変わらないのではないかと思います。

いや、だいぶ違うかも知れませんね。メディアは、ヤフコメ民たちよりも、遥かに大きな力を持っています。その「空気作り」のパターンの繰り返しで、人々を洗脳し、世界を変えてしまうかも知れないほどの力です。

太平洋戦争の時、多くの若者が、「空気」の中で、「お国のために」殺されて行きました。

安保の時も、(内輪揉めを含め)何人もの若い命が犠牲になりました。

天安門事件も然り。多くの死傷者が出ました。

時の政府が悪いのですか? それとも機動隊や警察が悪いのですか?

もっと悪いのは、「正義の空気」を作り出し、若者たちを自己犠牲に誘導した、民衆とメディアだと、僕は思います。

天安門事件のとき、日本からの留学生たちは、「学生頑張れ」「中国共産党くたばれ」と叫んでいたように記憶しています。今の日本の「中国メディア」の主力を占めているのは、その頃の留学生たちではないでしょうか?

もう一度「天安門事件」を起こして、「中国共産党の悪」を世界にアピールしたい。その「出汁」に使われているのが、香港の学生たちです。若物たちを犠牲にして、自分たちはのうのうと、、、。

あと、周庭さんという、民主の女神とかいう女性、天安門の柴玲さんに見事に重なりますね。「流血を期待していた」とか言って、アメリカに逃げて英雄になった人です。 

全く異なる話題ですが、さっきヤフー・ニュースを検索したら、その周庭さんの談話(「殺人行為と同等です」)の隣に、こんな記事が載っていました。

「16歳の少女に3万円渡して猥褻行為を行った47歳男性を逮捕」という記事です。そのコメントに、こんなのがありました。

>男に罪はある。だが女性側にも問題はある。女性側にも抑止力を高めてもらわなければならないと思います。被害者が可哀想で報道や一般意見は終わるが、もう少し踏み込んで考えてもいいのでは? 女性に問題はない、そうい言った弱者意識が女性の社会進出の妨げの根本にあると思います。

それをそのまま当て嵌めてみます。

>「警察(その背後の中国共産党)」に罪はある。だが香港(民主運動)側にも問題はある。香港側にも抑止力を高めてもらわなければならないと思います。被害者が可哀想で報道や一般意見は終わるが、もう少し踏み込んで考えてもいいのでは? 香港に問題はない、そうい言った特権意識(思い上がり)が、香港の民主主義奪回の妨げ(「中国共産党支配」からの脱却)に手こずっている根本にあると思います。

挑発。限度がありますよ。とくに若い人たちは、その限度を知らず、垣根を越えてしまう。

警察に対し、殴る蹴るは、自分たちが正義なので、して当然。逆に向こうは、(本気で)自分たちに手出しをすることは、絶対に出来ない、と思っているのでしょうが、警察だって、自分や仲間が殺されそうになれば、(いいとは言いませんが)反撃ぐらいはします。

ニュースには、このような文面がありました。

拳銃を抜いた状態の【機動隊員数人に大勢で棍棒(こんぼう)で襲いかかり】、乱闘中に至近距離から左胸を撃たれた。男子学生が撃たれた後、近くの【機動隊員の足元に火炎瓶が投げ込まれ】、倒れた男子学生を引きずって助け出そうとした別のデモ参加者も取り押さえられた。

【警官が若者に囲まれて殴られている】そばで、別の警官が、【棒でたたこうとしてきた若者】の胸に向けて発砲した。

この記事(ことに【】内の語句)を、「当たり前」のように読み流してしまえる人がいるとしたら、驚きでしかありません。

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昨日の記事に、「誰もマスクをしていない!」という話を書きました。今日は、皆マスクをしています。「戦いの場ではする」「日常の場ではしない」、、、、。見事な「同調」が、徹底して行われている、ということです。

しかし、思いっきり挑発ヘイトをして、暴力まで奮って、身元がバレない様に「正義のために」戦う。なんか違うと思うんですけれどね。

「香港空港デモ」の記事に、互いに罵倒し合う香港マスクマンと外国人乗客、の写真を載せました。具体的な事は書かなかったのですが、概ねこういうことです。

空港内を徘徊する黒シャツマスクマンに対して、外国人乗客が「こんなところで何故黒マスクをして棍棒を持ってうろうろしているのか」とクレームをつけたところ、よもやのつかみ合い寸前の大喧嘩になりました。

実は、外国人乗客の怒りを支持する(黒マスク学生を非難する)コールの方が多かったのです。黒マスク学生にしてみれば、自分は正義のために、香港の自由を取り戻すために、(警察を挑発して彼らの暴力を導き出し、世界に彼らの非をアピールしようと)戦っているのに、何で非難されなきゃならないのだろう?ということですね。

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このあと(下)では、10月1日に遭遇した出来事を、時系列で紹介していきます(写真はゴマンと撮っていますが、今回は割愛し、頃を見て紹介していく予定です)。

なお、僕のポリシーを一言。「戦い」の画は撮りません。僕が撮らなくても、多くのメディアが行っているでしょうから、同じものを撮る必要はないと思っています。

僕は、周辺の「スケッチ」に徹します。みな、やってないでしょうから。