社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

青山潤三日記 2020.4.27

コロナ問題は、香港デモから(天安門事件から、と言って良いかも知れない)リンクし続けています。
 
デモもウイルスも、「マスク」(たぶん「ウイルスの防御」とはほとんど関係ない)が象徴です。
 
「自由」や「民主主義」の根源に関わります。
 
チエちゃんは、「犯人はビル・ゲイツ」と言っています。あながち荒唐無稽とは思いません。
 
「仮想通過」や「身体ビジネス」ともリンクしています。
 
ウイルスは多様、人間も多様。
 
僕は確実にウイルス(「新型」ではない)に感染しています。でも発症しない。それはなぜか?
 
一日に亡くなる世界(日本)の死亡者数と、コロナ関連死亡者、およびほかの病気の死亡者との割合。
全ての病気における死亡者の、全てのウイルスとの関連性をチェックして、「新型」との併記比較を行う。
なぜ、それをしないのか?
 
いろんなことが浮彫りになっています。
 
「若者と老人」「科学と非科学」「正義の在り処の偏り」
 
「自由」を目指すのが、民主主義。
「平等」を目指すのが、共産主義。
 
日本は、「金持ち(実は大半の人々が相当?)」基準で社会が成り立っています。貧乏人も、それに従わねばなりません。弱者は強者に従う。それが自由の正体です。香港も同じです。
 
中国をはじめ、多くの国々は(たぶんアメリカも)、社会の「階層」があります。金持ちの世界とは別に、貧乏人(弱者)の世界がある。弱者は強者とは別世界の中で生きていくことが出来ます。
 
日本には、それがない。全て一つの方向に従わざるを得ない(政治家や権力者ではなく大衆の総意に)。
 
繰り返して言います。ウイルスは多様、人間も多様。
 
酒に強い人もいれば、弱い人もいる。
 
生物の種は(「種」レベルよりずっと下位の)集団ごとに、固有の性質を持っています。
 
「新型コロナウイルス」に「種」としての名前が付かないのは、そういうことです。
↑ここ、非常に大事なこと。