社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

潜在的肺炎老人の新型ウイルス遭遇日記

 

筆者は、今回の「新型コロナ肺炎ウイルス(以下“新型ウイルス”と表記)」騒動の最中、武漢からの南の出入り口である広州・深圳・香港に滞在し(1月9日~2月3日)、「新型ウイルス」に対する現地の受け止め方の推移をチェックし続けてきました。記者でも識者でも医療関係者でもない、一般人の筆者(中国と日本を行き来して今年で33年目になります)が感じたことを書き留めておきます。

 

「新型ウイルス」の存在が多くの人々に知れ渡ったのは、今年に入った1月16日。人→人感染の可能性を示唆する「濃密接触云々」の報道からです。

 

中国でも当初、武漢以外の一般市民の関心は低かったように思われます。一応「人から人への感染可能性」の情報は、中国(本土も香港も)の市井の人々に行き渡ってはいましたが、まあ、いつものこと(毎年冬はインフルエンザを始め様々なウイルスが蔓延するので、今年も注意しておこう、武漢の人は災難だね)ぐらいにしか捉えていず、さほどの危機感は感じられないでいたのです。

 

それが一変したのが、1月24日、日本の大晦日に当たる「徐夕」の日です。この日は、中国の田舎では一年で一番忙しい日です。この日のうちに、何から何までの春節の際事の準備を済ませねばなりません。自分たちの作業に集中しなくてはならず、たいていのインフラがストップしてしまい、筆者など部外者が途方に暮れてしまうのも、この日です。

 

多くの中国人は、春節初日の約一週間前(今年の場合は1月18日前後)に都市部での仕事を終えて、田舎に向かうのです。これから後の2週間ほどは、中国各地の大都市は、ゴーストタウン化してしまいます。

 

その、大半の都市部住人の帰省が終えた1月24日になって、政府が正式に危機を発令し、中国国内の一般市民の多くが危機感を共有し始めました。都市に残った人々の間でも、それまではちらほらとしか見かけなかったマスク姿が、一気に激増しました。地下鉄の入り口などでは発熱検査が行われ、人々の口からも不安の声が一斉に上り始めました。

 

 

集落閉鎖という恐怖

 

今回の「新型ウイルス」の発生元とされる武漢は、中国有数の大都市です。人口1100万人とされていますが、それは行政上の「武漢市」であって、実際の都市圏人口は、3000万人とも5000万人とも言われています。

 

武漢自体の都市としての規模もさることながら、重要なのはその位置です。北の北京、南の広州・深圳・香港、東の上海、西の重慶・成都の、ジャンクションに位置しています。武漢と各大都市圏の間には、飛行機や高速列車や高速バスが頻繁に行き来していて、それぞれの大都市圏人口は1億人前後と見做してよいでしょうから、実質的には中国の半分ぐらいの人々が、武漢を通して日常的に密接に関わりあっているわけです。

 

それら東西南北の大都市圏はまた、日本を含めた国外各地への主要出入り口でもあります。ということは、世界の各地でも、「対岸の火事」と呑気に構えてはいれなくなってくるわけです。

 

筆者のいた広州市も封鎖(外部地域との交流禁止)された、という情報が広がりました。市政府は、それはデマだ、封鎖はされていない、と声明を出しました(1月26日時点)。でも実際、筆者が住むボロアパートの一帯は封鎖されてしまっています。集落の周りがぐるりとテープで取り囲まれ、バスターミナルに接した側には、10人ほどの町民が、手に手に棍棒などを持って、出入りしようとする人間を、すごい剣幕で追い返すのです。まるでホラー映画の一場面のような異様な光景です。

 

今回がこれまでの出来事(2003年のSARSなど)とは違うのは、情報が溢れすぎていること。報道の内容が錯綜し、正直どの情報が事実で、どれがフェイクなのか、判断がつきかねるのです。

 

といって、このままでは筆者も集落から出れなくなってしまいます。予定を早めて香港に向け緊急脱出することにしました。

 

 

黒マスクから青マスクへ

 

つい数か月前までは「黒マスク」で覆われていた(当初の用途は「催涙弾除け」で後に「身分隠し」が目的になったその推移は昨年8月4日付けの「現代ビジネス」に記述)香港の街は、今度は「青マスク」で覆い尽くされていました。よくよくマスクに縁がある街ですね。

 

そのマスクですが、広州-深圳-香港での地下鉄乗車時(1月31日と2月1日)に、筆者と同じ車両に乗っていた乗客のマスク率とマスクの種類を数えてみることにしました。一部報道では「防御には特別なマスクが必要」とされています。どんなマスクが効用があるのか筆者にはよくわからないのですけれど、とりあえず立体的なものと外観が物々しいものを「特殊マスク」としてカウントしました。

 

広州と深圳の地下鉄乗客(7路線29駅間270人をカウント)は、マスク着用率100%、うち特殊マスク

約25%、乗車時にマスク着用が義務付けられているので、マスク無しはむろんゼロです。

 

一方、香港の地下鉄(4路線17駅間279人をカウント)では、マスク着用率約95%(うち特殊マスクは1%余)、マスク無しが約5%。

 

香港側では中国側と違って、乗車時の体温検査もありませんでした。危機感の高さは、本土のほうが上回っているように思えます。見方を変えれば、(事の良し悪しは別として)「しばりつけ義務」の中国本土と「自由を選べる」香港の、体制の違いからくるものとも言えるでしょう。

 

ちなみに、香港の欧米人の多くは、マスクをしていませんでした。欧米人にとっての“マスク”は、かなり特殊な存在(重病人や劣悪環境で作業する人のみが着用するものと認識)のようですが、アジア人にとってのマスク着用は、日常的なマナー(いわば「付和雷同」「事なかれ主義」の象徴)として、文化に溶け込んでいるのだと思います。

 

 

実は日本の方が危ない?

 

2月3日、無事成田空港に戻ってきました。中国側のイミグレーションで、いつもとは違って出国のための複雑な書類記入を行ったこともあって、日本入国に際しては中国以上の複雑な手続きや検査が為されるものと、気が重くなっていたのですが、拍子抜けでした。

 

いつもなら「どこに行ってきたのですか?」と訊ねられる質問も、荷物検査もなし。「ウイルスチェックはしなくて大丈夫なんですか?」と言っても、「心配なら自分で保健所に行ってください」、、、それだけ。

 

すぐに保健所と病院に行き、中国からの帰還を自己申請しました。しかし、「一定以上の熱がある」「最近湖北省に行ったか湖北省の人と接触した」人以外は、検査するわけにはいかない、との答え。

 

中国からの帰還者を一人ひとり検査していてはきりがない(実質不可能)という事はよく理解できますが、「湖北省の人との接触経験の有無」と言われても、ナンセンスだとしか思えません。誰でも中国の大都市に滞在中は、数多くの湖北省出身者と何らかの形で接触していたことでしょうから。

 

結局は、潜伏期間といわれる14日間(その根拠の是非はともかく)を自己規制しつつ過ごすしかありません(後述するように、そこらあたりの規制は中国のほうが徹底している)。

 

むしろ日本に帰ってからの感染が心配です(「新型ウイルス」に限らずインフルエンザなども含めて)。人込みの中に置かれる機会は、日本での方が多いような気がします。ゴホゴホ、ぐしゅぐしゅと、多くの人がやっている。中国では、よほどデリケートになっているのか(たぶん疾患者は強制的に閉じ込められているのだと思いますが)、街角で風邪を引いている人にはほとんど出会わなかった。

 

この記事を書いている時点で、中国を出国してから20日近くが過ぎました。ひとまず今回の「新型ウイルス」感染からは免れているのだとは思いますが、この先どうなるかは分かりません。

 

中国に30年余も暮らしていると、原因不明の腹痛や、風邪が長引いたりすることが度々あります。中国の友人たちからは、「あ、それはウイルスに感染している!」と言われます。中国では、しょっちゅうと言っていいほど未知のウイルスが発生しているらしく、筆者もこれまでに何度も感染を繰り返して来た事と思われます。

 

筆者は、もともと肺に疾患があって、日本滞在時は病院で常に肺のチェックを行っていますが、ここ数日はお腹の気分が非情に悪く(下痢はしていず痛みもない)、眩暈が酷いのです。

 

医師も保健所の方も「それはウイルス感染かも知れませんね」と言います。「多分、いわゆるノロウイルス、もちろん“新型ウイルス”の可能性もあるでしょうけれど、とはいっても“新型ウイルス”も数多くあるウイルス(約2000種、それぞれに性格が異なる)のひとつだから、それだけを特別視して検査することは出来ません」とも言います。

 

医師や保健所の方の意見は、決して「新型ウイルス」を軽視するわけではないけれど、従来からの「肺炎」や「インフルエンザ」の脅威への対策も同等に考えて、より適切な対応を採るべき、ということなのだと思います。

 

それに、例え筆者の症状が「新型ウイルス」によるものであったとしても、一体何が出来るのでしょうか?

 

一人ひとりが、充分な休息・栄養・睡眠をとって、体力を保っておくこと。おそらくそれが唯一かつ最大の「パンディミック」への防御策だと思われます。

 

今回の「新型ウイルス」に対しては、現時点では「過小」に侮ることも「過大」に恐れることも共に懸念せざるを得ないとしても、これまでにも存在したであろう有象無象の他の未知のウイルスへの脅威と、どこが違うのか?冷静に分析して対処することも必要な事ではないでしょうか?

                   

にも関わらず、日本は右往左往しています。様々な情報の氾濫・錯綜によって、(医療界を含む)社会のバランスが危機に陥りつつあります。騒ぎだけが大きくなって収拾がつかなくなり、責任をひたすら中国に押し付ける。

 

 

それも限度で、一歩間違えると、(日本の思惑とは正反対の方向に風向きが変わって)今後、世界からは(いろいろな意味で)「危険な国」として、「日中韓」一緒くたに扱われて行くのかも知れません。

 

 

肺炎・インフルエンザ・新型ウイルスなどの実際の感染者・死亡者数の比較

 

「肺炎」「新型ウイルス」「インフルエンザ」など、それぞれ次元の異なる現象ではありますが、相互に症状的にも重なり合い、密接に関連したりする場合もあるようなので、感染者数や死者数などの大雑把な比較を行っておきましょう(それぞれの引用元は末部に紹介)。

 

肺炎は、20世紀前半には例年日本で10‐15万人(1918年にはスペイン風邪流行に伴って20万人余)の死者数、1945年以降は減少傾向(最低は64年の2万人余)にあったのが、1980年代頃から再び 増え始め、毎年10万人近く(2016年には約12万人)の死亡者を出しています*。

 

これとは別に、1970年代までほとんど症例が無かった誤飲性肺炎による死亡者数が2000年代に入って一気に増え、2016年には年間4万人近くが死亡*、試算によると、今後は誤飲性肺炎の死者数が逆転し、2030年には他の肺炎と併せて年間20万人以上になる見込みだそうです*。

 

近年急速に増加しているウイルス性胃炎のノロウイルスは、例年、全国で数100万人~1000万人前後の感染者がいるそうです*。ウイルス自体が直接的に生命を脅かすことは少ないようですが、誤飲性肺炎の中には、嘔吐によって引き起こされている例が、かなりの割合を占めているものと思われます。

 

インフルエンザ(筆者たちの世代は「流行性感冒」と呼んでいました)は、1918年‐1920年のシーズンに約20万人の死者を出したと言われる「スペイン風邪」を始め、1950年代末~1970年代半ばに、「アジア風邪(死者約8千人)」「香港風邪」など数千人単位の死者数を出す流行が繰り返されてきました*。2016年に於ける日本国内での死者数は1464人*。

 

近年の状況を世界単位でみると、2019年10月からの約4カ月に、感染者数2200万人、死者数12000人となっています*。今シーズンが特別ということではなく、例年同程度かそれ以上(2017年‐2018年のシーズンでは感染者5000万近く、死者数6万人以上)だそうです*。日本での感染者も、毎年1000万人前後を数え*、インフルエンザが引き金となって死亡した人は、例年世界で25~50万人、日本では1万人前後と推定されています*。

 

インフルエンザと初期症状が類似し、流行期間が重なる「重症急性呼吸器症候群(SARS)」は、SARSコロナウイルスという、インフルエンザやノロウイルスとは別のウイルスに由来します。中国南部を発生元とし、2002年~2003年のシーズンに、世界で8000~8500人前後の感染者、800人~900人前後の死亡者が報告されています*/*。封じ込め後は、原則として新規感染例はない、とされています*。

 

ちなみに、前回SARSの時にも、筆者は(発生源とされる広東省を含めた)中国に滞在していたのですが、大きな騒ぎになっていることは(途中一度往復した)日本に帰った時に初めて知りました。

 

今回、前回SARSと大きく異なることのひとつは、インターネットによる情報が溢れすぎて、実態が錯綜していることだと思います。以前は、世の中の事は何も知らなくても、知らないなりに自分の能力や考えに沿って行動することが出来たのです。もしかすると、そうはいかなくなってしまっている。 

 

 

「言論の自由」のまやかし?

 

「新型ウイルス」騒ぎは、西側社会の中国潰し、という気がしないでもありません。メディアと大衆が主体となっての、ある意味(力のある側が弱者を封じ込める)言論のテロ。「香港デモ」と構図は似ていますような気もします。

 

ここで言う「力」とは、権力(体制)の側、抵抗勢力側に関わらず、世相の「空気」に乗っかった側に存在する現象です。筆者には、天安門事件や香港デモ(筆者は両方ともリアルタイムで遭遇した)のときと、同じような気分を感じます。

 

何も中国共産党の政策や、一党独裁を支持しよう、などとは、微塵も思っていません。でも、民主主義を唯一正しい事とし、一党独裁政策を頭から批判する人達の主張に対してもまた、違和感を禁じ得ないでいるのです。

 

確かに、日本を含む西側社会には「自由」があります。(普通選挙の行使によって、一応建前としては)独裁権力の押さえつけを否定し、国民皆の自由な発言・行動が保証される民主主義社会があります。でも、人生の半分ずつ(35年×2)を2つのシステムの中で(数か月ずつ交互に)過ごしてきた筆者にとっては、なにか違うような、、、、。

 

ことに、民主主義社会の掲げる「表現・言論の自由」に、違和感を覚えます。個々の権利の保証は、共産主義社会には存在しないけれど、民主主義社会には存在する。でも、それは本当なのでしょうか?

 

確かに、民主主義社会では、何を言っても良いし、何をしても良い。個々の表現・行動は原則自由なのだと思います。民主主義の許で育ってきた人々が、自分たちの自由な社会が侵害されることを防ごうとし、あるいは、共産主義社会の体制下に置かれている人々が、政府による規制に苦痛を感じて、自由に主張が出来る社会を求めるのは、当然の成り行きだと思います。

 

でも、現実問題を考えて見てください。自らの意見を伝達・拡散し、多くの人々と共有することが出来るのは、一握りの知識人やエリートであったり、あるいはそれに追従する多数派に限られているのではないでしょうか?。

 

自由を得るためにも、正しい表現や正しい方法論や正しい位置が必要で、そのためには、権力の側、抵抗勢力の側に関わらず、その時々の力(大きな声)や、そこから導かれた“空気”に乗っかっていなければならないと思われるのです。

 

本来なら「民主主義社会」に於ける「自由」は、いかなる思想・行動であれ、それぞれの立場に平等に分け与えられるべきものだと思います。しかし実際は、自由を標榜する人たちの意識の外で、ヒエラルキーが形成されてしまっている。そこからはみ出た、“自由の外側”にあるもの(知能、技術、形式、手段、同意などの欠如する存在)が、自由の名のもとに、規制、除外、無視(無視は最大の弾圧)されてしまって行く。

 

結果として、権力とは別の(概ね対極にあるように見える)“力”から導かれる相互監視体制のなかで、自分たちにとっての自由に抗うものを排除しようとする、目に見えない暴力としての“自由”が生まれていく(その象徴が“香港デモ”の正義)。“自由”を標榜し、ひとつの方向に正義を求める、という、実態の把握が難しい“空気”に基づく目に見えぬ巨大な“力”は、例えば「独裁政権」下での自由の剥奪という物理的に分かり易い力以上に怖いと思うのです。

 

逆説的な言い方をすれば、底辺の人間にとっては、最初から自由を規制された枠の中に置かれている方が、ある意味平等に“力”から逃れる事が出来て、その枠外の自由な世界との力関係の中で“実質的”に自由が制約されることよりも、まだまし、と言う気がします。むろん、あくまで“まだまし”と言うだけで、それを肯定するわけではありませんが、筆者のような、世の中の仕組みを知らない無学な人間の中には、そのように感じている人たち(大きな声を出せない、自由の枠外に置かれている底辺の人たち)が、少なからずいるだろうことを、知っておいて貰いたいのです。

 

今回の「新型ウイルス」の報道も、どれが正しく、どれが間違っている、という問題ではないと思っています。独裁政権による「隠蔽」そのほかの恐ろしさは、一面ではその通りかも知れません。でも、別の立脚点から俯瞰すれば、有無を言わさず、多数派に組しなくてはならないような「雰囲気作り」もまた、恐ろしく感じるのです。

 

 

「春節」という大義名分を使っての隔離~別の角度から見れば中国政府による「隠蔽」が成功した?

 

いずれにせよ、「新型ウイルス」は、もうとっくに日本中に蔓延しているでしょうから、今更ジタバタしても遅いと思います。インフルエンザ蔓延を結果として放りっぱなしのアメリカを見習って、矛盾だらけのまま「終結無き終結」とせざるを得ないのでしょう(今回に限らず、それと気づかないまま、これまでも何度も未知のウイルスに襲われ続けてきたことでしょうし)。

 

それでも本気で対策を取るというならば、日本人全員を隔離しなくてはならないでしょう。それは出来ないと思います。経済活動が断絶されて、資本主義(民主主義)社会が破綻してしまうからです。

 

皮肉なことに、中国共産党はそれが出来るのですね。良し悪しは別として。

 

偶然だとは思うのですが、春節移動のピーク終了のタイミングを見計らったかのように、(中国各大都市での)緊急事態発令が発令されたわけです。それが良い事なのか悪い事なのか、意図的なのか偶然なのか、筆者には知る由もありませんが、結果として、情報を隠蔽?し「移動禁止」の発令を遅らせたことにより、(武漢以外では)「都市」から「田舎」に国民を送り出して一定期間閉じ込めたことになります。

 

もし、春節期間前に発令していれば、田舎に帰ることも出来ず、市民の大多数が都市に閉じ込めれることで、各都市が武漢同様のパニックになっていた、と思います。逆に富裕層は、一足先に大挙して海外に逃げていたでしょうし。

 

地方に移った人々は、春節期間中も、徹底して14日間、外出を禁止されたそうです。そのことによって、(あくまで結果論ですが)一か月経った現時点において、各大都市が武漢のようなパンデミック状態に陥ることが回避されているわけです。

 

敢えて、(半分皮肉も込めて、でも半分は素直に)中国政府は、(西側社会から猛烈な批判を浴びせ続けられながら、事態の収拾に向けて)よく頑張った、と言っておきましょう。

 

*なお、筆者のアシスタントMは、(他の中国人の多くの人達と同様)春節1週間前の1月18日に、湖南省にあるご主人の実家に帰省、春節初日以降は、広東省にある自分の実家に戻る予定でいたところ、24日になって「実質移動禁止」の勧告が出され、その日から数えて14日間は部屋から一歩も出れない状況になりました。14日経って発症が確認されなかったことから、2月10日になって無事広東省に移ることが出来たのですが、再び14日間、そこからの移動が出来ないのだそうです。

 

 

改めて「新型ウイルス」の由来に関する意見を整理してみました

 

①党が実験中の生物兵器の逸出

②アメリカが持ち込んだ生物兵器

③中国の衛生概念の許では当然

④病院への患者集中などパニック

⑤武漢・湖北省と近代化の相関性

 

①や②がニュース的には面白いのでしょうし、その可能性もなくはないとしても、普通に考えれば③と④でしょう。

 

「武漢の海産市場」を取り上げるまでもなく、中国の実態を知らない人には想像だにつかないだろう、余りに劣悪な衛生概念。

 

例えば、子供に服を着たまま小便させたり、食堂のゴミ箱に大便をさせたりして「あとで洗うから大丈夫」「どうせ残飯と一緒になるのだから問題なし」とか、、、それが文化なのです。次から次へとウイルスが蔓延していくのが、当然のように思えます。

 

そのような状況の許で、ニュースを聞いてパニック状態になった人々が病院に押し寄せ、ウイルスをまき散らす元凶になっているのではないかと(日本でもそうでしょうが病院が感染媒体の最も顕著な空間だと思います)。武漢は、ある意味余計な扇動に乗ったがために、被害を大きくしてしまった、ということも出来ると思います。

 

もっとも、それが文化であろうが無かろうが、今回をきっかけに、中国国民が衛生概念を本気で考えなくてはいけない時期に来ていることは確かでしょう。日本は隣国として中国と一体になり、「環境」整備に取り組む義務を有している、と思います。今回の「新型ウイルス」騒動が、そのきっかけに成れば良いのですが(異質の存在の“排除”では解決しません)。

 

 

地球の遺伝子のプール「長江中流域一帯」で、何が起こっているのか?

 

最後に⑤について。①や②以上に荒唐無稽な話ではあるのですが、根源には大きな問題が潜んでいます。

 

武漢発祥は、はたして偶然なのか?

 

武漢が、文化歴史・地政学的に見て、東西南北とのジャンクションに位置することは、今や多くの日本人にも知れ渡っています。でも、それとは別次元の、膨大な「時空」に関わる問題があります。

 

武漢とその一帯(湖北省)は、生物地理・地史学に見て、地球の中心と言っても良い位置にあるのです。筆者の主要フィールドのひとつでもあります。

 

「新型ウイルスの人‐人感染」と、ほぼ同時に、同じ地域を舞台とする、ある話題がニュースになっていました。でも、溢れるほどの「新型ウイルス」情報とは対極に、以降全く報道されていません。

 

「(武漢周辺の長江中流域に棲息する)世界最大の淡水魚の絶滅認定」という記事です。

 

武漢周辺地域/湖北省は、地球の「遺伝子のプール」です。無数ともいえる例があるのですが、そのうちの幾つかを挙げておきます。

 

★様々な植物や動物に於ける「日本列島-湖北省」共通分布固有種の存在(主に武漢の北西方)。

★世界に近縁種が存在しないアマミノクロウサギの唯一の国外化石出土地(武漢の東方)。

★化石しか知られていなかったメタセコイアの現生野生株の存在(武漢の西方)。

★稲作の起源地(武漢の南西方一帯)。

★「野人(いわゆる雪男)」の目撃例(これについては訳注が必要ですが)。

等々。

 

その「遺伝子のプール」の地を、人類は破壊した(象徴が三峡ダム)。それが引き金となって、(今まで奥深く潜んでいた)未知のウイルスが表に現れだした。今回の「新型ウイルス」騒動は、その序章なのかも知れません。

 

一段落つけば、筆者は湖北省での調査活動を、再開しようかと思っています。むろん「新型ウイルス」とは関わりのない、僕のライフワークの蝶やセミや野生アジサイなどの探索ですが、そこから(「新型ウイルス」の本質に関わる)“何か”が見えて来ないとも限りません。

 

 

2月18日


今、モニカと連絡を取り合っているのですが、(香港も巻き込んで)かなり状況は混乱しているようです。暫くの間、進行を見守って行くしかありません。

 

 

2月19日  これ、(ちょっと茶化して書きましたが)非常に重要な建設的な話です。

 

僕の送った記事は、読んでくれていますでしょうか?


北村豊さんと言う人は、面白い人ですね。だんだんと愛着がわいてきました。臼杵氏やこの方の頭の構図と、僕の頭の構造の違いが、大分分かってきました(良し悪しの問題ではなく)。


実は、このひと、凄く大事なことに気づきかけてるのですよ!!


>広東省でキクガシラコウモリの調査をすれば良いはずであるにもかかわらず、石正麗のチームがわざわざ雲南省の辺鄙な場所にある洞窟まで出かけてキクガシラコウモリの調査を行わなければならなかったのはなぜなのか。

僕は、その答えを知っています。


でも、北村氏や臼杵氏みたいな「頭の良い人」には、永遠に分からないのでしょうね。残念です。

 

 

2月19日  なぜなのか、についての答え

 

ウイルスが「生物」のひとつであるかどうかについては諸説があるようですが、ほかの動物や植物とともに、自然界に存在する「何らかの主体的行動を伴った」分類群のひとつとして扱われていることは確かです。タクソノミーも他の生物同様に何1000という分類群に分けられていて、それぞれ「分布」(必ずしも平面的空間ではない)を形作っているわけです。「分布」には、常に「分散(拡散)」という概念が伴います。話し出しだすと大事になって収拾がつかなくなってくるので止しますが(僕の言う「動き続ける極相」とか「時間のフラグタル」とか言った、えもすれば哲学的な概念に繋がってくる)、卑近な問題として、とりあえずひとつだけ言っておかなければならないのは、当たり前の話だけれども、種の拡散と個体の拡散とは、根本的な意味が違う、ということ。ある土地に一気に移民が増えるとか、今回の「新型ウイルス」のように一気に多数の人への感染が為される、というの(いわゆるパンデミック)は、個体の拡散ですね。ただし、種としての拡散が、個体の拡散に基づくときもあるのです。僕が対象としている蝶や植物においては、ひとつの方程式のようなものがあります。繁栄の極にある種は、本質的に極度の遺存性を持った種(例えばごく限られ地に残存分布し他の地に姉妹種たる存在が認められない分類群)である例が多い、という事実。「絶滅寸前」と「繁栄の極」は背中合わせになると。こういうと、一般の人は、「繁栄の極」→「絶滅」という流れを思い浮かべるでしょうが、(むろんそのケースも少なくないとしても)基本は「絶滅寸前」→「繁栄の極」なのです。「絶滅寸前」の分類群は、99%は「絶滅」に向かいます。で、ごく僅かの絶滅を免れた分類群は、細々と生き延びることは不可能で、一気に(何らかの“風/チャンス”に乗って)最大限の繁栄者になる道しかないのです。その時に、「元の集団」が、“どこかに”存在しているわけです(拡散した繁栄集団だけが生き残って母集団消滅ということもるでしょうが)。その原集団の“状況”を把握することが、‟現在展開している繁栄の実態”を知る上に於いて、非常に重要なことになってきます。地球上に於ける、そのプールのひとつが、雲南省周辺(四川省西部やミャンマー北部~インドアッサムなどを含む)と湖北省周辺(陝西省や湖南省の一部を含む)です。広東省から広西壮族自治区にかけての地域(いわゆる南嶺)が、それと大きな関わりを持ちます(更に日本と琉球)。広東省に於いて野生動物に関わる何らかの問題に出会ったら、僕なら(たぶん他の冷静な研究者も)当然、まず雲南や湖北の実態に目を向けます。キクガシラコウモリの場合でも、広州の町中でも見られる集団(東京にもいるしアテネにもいる)ではなく、雲南の僻地の集団に目を向けるのは当然のことです。中国の「自然科学」に対する取り組みは、僕の目から見れば、余りにも幼稚な段階にあるとしか映りませんが、唯ひとつ言えることは、(目先の事だけを考えているのではなく)一生懸命、真面目に、真摯に取り組んでいるということ。今では、日本のほうが、「応用科学」にだけ目を向けて、基礎学問を疎かにしているような気がします。

 

 

2月20日  モニカと香川さんからの情報。

 

過去中国に行ったことのある人は、国外からも香港に着いたあと14日間は宿泊地の部屋から外出できない。

 

香港空港から中国に行く場合は、空港から出ている深圳行のフェリー(約30分)を使えば出国できる。しかし、中国に着いたあと、同様に14日間移動できない。

 

3月中旬~4月中旬

成田‐香港‐ギリシャ‐香港‐湖北省

「東洋の春の女神(第5のギフチョウ)」と「西洋の春の女神(第6のギフチョウ“萌葱蝶”)」

の取材を予定しているのですが、、、、いろいろと困難が伴いそうです。

 

良いか悪いかはともかく、中国は徹底しているみたいですね。

 

僕は、ますます胃の吐き気と眩暈が酷くなり、とても辛い状況です。日本でかかったノロウイルスの可能性が8割、インフルエンザと新型ウイルスの可能性が各1割ぐらいじゃないかと(担当医の先生ともども)考えています。38度以上の熱が出ないと検査して貰えないし。

 

僕はともかく、周りの人は大丈夫なんでしょうかねぇ(僕から感染しても責任取れない)。どうせ騒ぐなら中国ぐらい徹底してやらないと意味ないと思うのですが、、、。まあ、メディアもことさら「新型」「新型」と騒がず(死者の数インフルエンザ圧倒的に多いし)、普通にしているのがベターとは思いますが。

 

しかし、今地元のイオンの食堂にいるのですが、回りは「ゴホゴホ」「ぐしゅぐしゅ」のおじんおばん(全員日本人)ばかりです。中国人は出歩いてなんていませんよ。なんかちぐはぐですね。

 

 

2月20日

 

デューク・エイセスの吉田一彦さんが84歳で亡くなった、というニュースがありました。

 

ダーク・ダックス、ボニー・ジャックス、デューク・エイセス、、、臼杵氏だって、名前ぐらいは知っていますよね?

 

いつもの事なのですが、スポーツ選手や文化人の訃報に際して、今の(主に若い世代の)人達に馴染みの無い人が対象だった場合、「なぜこんな無名の人の訃報がニュースに取り上げられるのか?」といったコメントが一定数見られます。 

 

今回も複数ありました。

 

>誰だか知らんし、紛らわしいからニュースにしなくていい。

 

こんなリコメントがなされていました。

 

>>勉強不足を正当化してはいけない。知らないのはお前が悪い。

 

僕も、つくづくそう思います。

 

でも、それが通じなくなる社会になりつつあるような気もします。

 

単に、ノスタルジーとか、そういった次元の問題ではありません。

 

「香港デモ」もそうですし「新型ウイルス」に対してもそうなのですが、同調(空気の力)による世の中の支配が為されつつある。

 

以下、省略(「有名/無名である」ということは、本質的にどのような問題を表しているのか、ということについて書いています)。

 

 

2月21日

 

モニカ、香川さん、チエちゃんと連絡取り合ってます。


香港も、ギリシャも、日本人を受け入れてくれない可能性が出てきそうです。


臼杵氏の方に情報ありましたら、教えてください。

 

 

2月21日(チエちゃんからのメール転送)

 

>姫路の高校生はヤンキーじゃないです、ヤンキーは高校行けないか岡山の高校に行きます。臼杵さんに現代ビジネスでクルーズ船がアメリカの企業でイギリス船籍であること、企業のずさんな対応と、オリンピックの代替え地としてロンドンが名乗りを上げる厚かましさについて世の中に伝えてくださいと言っといてください。

 

 

2月22日

https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200222-00163925/

「現代ビジネス」の記事(注:確かめたら別メディアでした)も興味深いし、この記事も頷けます。いろんな視点から見ていきたいですね。

 

 

2月23日  コロナウイルス ギリシャ/日本/湖北省/イラン 春の女神

 

モニカに外出(移動?)許可が出たみたいです。


ただし日本人がスムーズに中国・香港と行き来で来るかの詳細は不明です。


香港の原稿料は日本の銀行に転送して貰うよう手続きしています。


なんか、日本よりも中国の動きの方が(マスメディアも含めて)理にかなってるような気がしますが、、、、。


ちなみに、ギリシャは今のところアジア人に対しての特別のヘイト行動はないみたいです。


「春の女神」探索(湖北省とエーゲ海が対になります)にギリシャに行くには、日本から直接になりそうです。「コロナウイルスと春の女神:ギリシャ‐イラン‐湖北省‐日本」執筆中です。

 

 

2月24日 資料断片

 

近い将来僕のブログに発表予定の、基礎データ(とりあえずの纏め、「現代ビジネス」の原稿ではありません)をお送りします。時間のあった時で良いですので、ちらっとでも一瞥しておいて頂ければ幸いです。

 

ギフチョウは、日本の自然愛好家(研究者、マニアなど含む)圧倒的に人気のある蝶です。

 

蝶マニアが躍起になって探し求めている(?)第五のギフチョウは、ギフチョウとは似ても似つかない、蝶マニアや研究者が、見向きさえもしない(蝶の中で最も「有名」な存在のギフチョウとは対照的に、最も「無名」な存在ともいえる)、モエギチョウ(僕が勝手につけた名前です、「シリアアゲハ」とか「ニセアポロ」とか呼ばれています)であることが分かりました(DNA解析、僕自身による外部生殖器の構造比較)。

 

空間的に両者を結びつけるのは、湖北省とイラクです。その間に横たわる「世界の屋根(チベット・ヒマラヤ・パミールetc.」地域に、両者の共通祖先たる化石種が発見されるはずです。

 

ちなみに、ギフチョウもモエギチョウも、まもなく絶滅してしまう(最後まで生き残るのは湖北省とイランの集団)ものと思われます。人類の未来を暗示しています。

 

僕が、釧路の東大生や、深圳レポートの若者の書いた記事に、賛同出来かねる所以です。

 

臼杵さんには分からないことでしょうが(笑)。それを判る読者もいるのです(たぶん、頭の構造が違う、むろん一般的に考えれば、臼杵氏や釧路の東大生らが賢くて、僕らなどはバカなのですが)。

 

臼杵氏が、僕に「表現の場」を与えてくれたのです。それに沿って、幾つかの記事を発表しました。そして、その記事(僕の文章力を含む)を評価してくれ、次の発表を待ってくれている読者が、一定数いるのです。編集者として「橋渡し」をした臼杵氏には、(その人たちの程度が低いかどうかなどは関係なく)それらの読者に対する責任があります。

 

具体的に言えば、掲載するしないは、編集者たる臼杵氏の判断に委ねられるので、そのことについては問題ありません。しかし、(臼杵氏と価値観や感性が違えども、僕と読者に対して)きちんと「瞠目」する必要がある。永遠に掲載はならないかも知れません。しかし、送った原稿に対しては、誠意をもって対応するべきです。原稿は、諦めずに送り続けます。「忙しいから」「青山さんは下手(才能がない)だから」といった理由(そのこと自体には正当性があるとしても)で排除することは、間違っています。

 

そのようなことを、僕の専門分野の、(ある意味僕の出発点たるギフチョウの)生物地理に基づいた視点から、「物語」として書き表していきます(「現代ビジネス」とは無関係、しかし臼杵氏に読んで貰うことが主目的)。春までには(出来ればイランや湖北省に出向いて)書き上げたいですね、、、、まあ今年は無理でしょうが、最大限の努力をします。

 

 

2月24日

 

今日のブログに載せた「予告編」です。


日本のメディアの在りかた(「現代ビジネス」や臼杵氏を中心とした)に、異議を示すために、全力で書きます。楽しみにしていてください。


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2020.2.24 青山潤三日記(お知らせ)

“春の女神/日本と希臘、湖北省とイラン、、、萌え始める樹々の薫りと光と風の物語”

 

カテゴリー:香港デモ、新型ウイルス、生物地理、青山潤三日記

 

↑こんなのを執筆中です。

 

>昔々(ソクラテスとかプラトンとかの時代より何百万年も前の頃に)、、、ギリシャと日本は繋がっていました。いや、繋がっているといえば、今でもほぼ繋がってます。でも、今は間に、チベット高原とか、ヒマラヤ山脈とか、タクラマカン砂漠とか、インドとかシベリアとか、、、いろいろ過酷な環境が挟まっていて(その他にも、中国とかイランとか、厄介な国も挟まってるし、笑)、その結果、生物たちの中には、長い間東西で交流が閉ざされたままになっている集団も存在します。

 

>祖先種が形成されたのち、離散集合を何度も繰り返し、各地で少しづつ姿や生活様式を変えながら今に至っている集団(人類もそのひとつ?)もあるでしょうし、ちりじりに別れてそのうちにどれもが消滅しまった集団もあるでしょう。今回お話しする「日本とギリシャの春の女神(ギフチョウ*とモエギチョウ**)」のように、遠く離れた東と西に分離したのち、再交流がないまま、(姿形を変えて)それぞれの地で細々と生き続けている集団もあるわけです。

 

↑出だしの部分です。完成品は100頁ほどになりそうです(写真も多数使用)。暫くの間、これに取り組むので、ブログのアップが度々途絶える可能性があります。

 

*Luehdorfia/**Archonそれぞれ「湖北省」と「イラン」が、重要な接点になります。今「湖北省(武漢)」と「イラン」がネガティブな意味で世界の注目を浴びているのは、決して偶然ではないのです(深い部分で繋がっている)。

 

 

2月25日 野生動物食について 

 

北村豊氏のウイルスの「野生動物」関与についての記事、興味深く読みました。


しかし、さっぱり意味が分かりませんでした。たぶん、僕の頭がよっぽど悪いということでしょう。はっきりしてるのは、北村氏は原稿料たっぷり貰って裕福な暮らしをしているのに対し、僕は原稿料貰えず赤貧洗うがごとし生活を余儀なくされている、ということですね(冗談です)。


まあ、面白い人です。僕から見れば(中国留学時に僕を徹底して虐めたエリート留学生たちと同類の)エリート中国研究者の典型ですね。僕もこのような方を見習う必要があるのでしょうけれど、残念ながら僕にはその才能がない、ということです。


それはさておき、


北村氏が言う「野生動物」の大半は、本来の意味の野生動物ではありません。「人類の歴史と共にある野生(的な)動物」です。湖北省には、人類が繁栄するより遥かな過去から、在来の野生生物が数多く存在しています。今回のウイルス騒動のカギを握るのは、そのような(このリストにはほとんど含まれていない)真の意味でのネイティブです。彼らと、人類の繁栄の(様々な形での)摩擦の上に起こっているのが、今回の騒動です。


<注>日本のメディアには「樹熊」をオーストラリア原産の「コアラ」と勘違いして報じたところがあったが、「樹熊」は中国で「芒熊」と呼ばれる、別名「タケネズミ」を指しているようだ。そうなると価格表上に「タケネズミ」が重複することになるが、同じタケネズミでも種類別に名称を変更している可能性が考えられる。
↑と記されていますが、


これは、「コアラ」だと思います。中国の生物の名称については、素人が安易に判断できない、数多くの難しい問題が含まれています。


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SARSの時は、発生(2002年末)から、終結(2003年夏)までの間に、僕は3度日中を往復しているのですが、SARSの存在さえも知りませんでした。本当に無知ですね(笑)。でも、何も知らなくても、僕の活動には、全く支障がありませんでした。


今回は、情報の洪水で、かつ、僕自身の行動にも支障大ありです。中国も、香港も、ギリシャでさえ、日本人が入国できるのかどうか、、、、、情報が錯綜しています。


結局のところ、これまで提示してきた僕の意見が、最も「的を得た」見解であるようにも思うのですが、「無名」で「下手くそ」とあれば、しょうがないですね。


まあせいぜい(僕以外の「有名」で「文章の上手い」)執筆者を見つけて、出来得る限り「真っ当な」記事が紹介されることを、望んで止みません。

 

 

2月25日

 

有難うございます。3人とも似た意見で、、、。


体調はとんでもなく悪いのだけれど、でも、湖北省(神農架)とかイラン(エルブルーズ山脈)とかの、原人が出てきそうな山の中には行こうとしているわけで、、、。


香港から日本に振り込むための、銀行手続きの電話番号は以前口座の登録時に臼杵氏の携帯番号を使わせてもらってる(その時は了解済み)ので、そのままにしてます。ご了承ください。


「ギリシャ-イラン-湖北省-日本の"春の女神"」(サクラとかモンシロチョウとかキャベツとかレタスの祖先の話なども含む)に、全力で取り組んでいます。僕がいなくなっても、問題提起が残るように、、、。

 

 

2月25日

 

改めて、質問します。

 

前回のメールに記した「野生生物食材資源」について。

 

この話題には、非常に興味(今回のウイルス騒動に関わって深く考える意義)を覚えます。

 

それで期待して読み進めたのですが、しかし残念ながら、余りにも内容が浅い(というか本質的な内容ゼロ)の記事でした(入れ物は立派みたいですけれど)。最後まで読んで、署名を見て、「それじゃ仕方ないわ」と苦笑してしまったわけですが。

 

臼杵氏(や周囲の人々)は、中国(殊に湖北省)の「在来(人間活動のずっと前から存在する)野生生物」の存在と、中国の人間社会の「超高速近代化」の関係性(今回のコロナウイルス騒動もそれに関与する?)を、真面目に考えようとしたことがありますか?

 

 

2月26日

 

昨日、2つメールを送信する予定でいたのですが、僕なりに臼杵氏に及ぼす「心労」も考えて(笑)、とりあえず前回のメールの返信が来るまでは保留しておこう、と考えているのです。臼杵氏には伝わらないでしょうが、(憤怒するだけでなく)それなりに気は使っているのですよ。


今日は、終日中国から日本の銀行への振り込み手続きのためにモニカと遣り取り。


それ以外は、ここ数日、中国の蝶の図鑑作りに没頭しています。「ハンディ版」で、1000頁近くに成ります(200頁ほど出来かかっている)。


ギリシャの蝶の図鑑も作らなきゃならないのだけれど、3月、無事(資金・体調・コロナによるアジア人ヘイト?)行けるかどうか?

 

 

2月27日  返事を下さい

 

銀行の手続きが終わり、ほっとしています。


中国行きは、モニカの指示(現状では仮に入国出来ても身動き取れない)に全面的に沿います。

3月はギリシャ。トルコに接したサモス島で、「春の女神(これまで知られることのなかったギフチョウの姉妹モエギチョウ)」の調査・撮影と、大きな暴動になりつつある島に大量に押し寄せたイスラム系移民の取材を行う予定です(チエちゃんやジョージの希望)。


そのうえで、もし4月5月に、中国のコロナ問題が一段落ついていれば、湖北省の「野人」の棲む原生林に、「春の女神ギフチョウ」の再調査(10年ぶり!)に訪れるよていです。


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以下、僕が伝えたい想いです。


臼杵氏の意見ください。

 

①中国に実際に暮らしている普通の外国人の感じた実態の推移を、日本の大衆に伝えること。


②パンデミックの懸念よりも、パニックの懸念のほうが結果として重大である(あった)こと。

 

③中国政府のとった行為(帰省完了後の通達、14日間毎の移動禁止)は最善策であったこと。

 

④「新型ウイルス」も多くの病気のひとつであり、必要以上にを煽ることによる弊害の懸念。

 

⑤文化として成り立っている(日本人には想像もつかない)中国の衛生概念を根本的に見直すこと。

 

⑥この騒動を「中韓叩き」や「異質の排除」、ひいては「同調の強要」に置き換えてはならぬこと。

 

⑦やがて日本にも、しっぺ返しが来ること。

 

⑧湖南省が遺伝子のプールであることへの(深い部分での)認識(↓の問題につながる)。

 

⑨中国の(入れ物ではなく中身を伴わない)「超近代化」(いわゆる民主化)への幻想(自由や正義への偏った信望)に惑わされてはならぬこと。

 

*⑧以外は他の方も言っているわけですが、もっと平坦な言葉で(下からの目線で)淡々と、かつより強く訴えるべき、というのが、僕の想いなのです。

 

 

2月28日

 

ちえちゃんとジョージが、ギリシャの移民・紛争問題について、臼杵さんに知ってもらいたいことが数多くあるようです。それらを纏めて別途メールを転送します(たぶんチエちゃんからもメールが行くと思います)。


「青山さんが取材して記事?を書いてくれ」、ということらしいけれど、僕は知らないこと(文献や伝聞ではなく、自分で体験したこと、直接調べたこと以外の記事)は、書けないし、書きません。


中国や香港の人間模様については、(ある側面からは)誰よりも良く知っているつもりなので、臼杵氏にいくら拒否されようと原稿を送り続けますが、ヨーロッパの人間社会については(蝶や生物地理学的視点からの話なら自信はあるけれど)、全くの無知で何一つ知りません。


ジョージやチエちゃんが実態を伝えたいと思っているので、もし原稿(英語?)が直接行った時は、目を通してください。


ちなみに、僕は、中国の人間社会についても、興味は全くないです。しかし、(重ねていうけれど、ある側面からは)誰よりも良く知っている。書きたいから書くのではなく、読者に伝えるべきだから書くのです。

 

 

2月29日

 

新型コロナ「衝撃の休校要請」…多くの医師が疑問を抱いている


↑いい記事ですね。


それは素直に認めます。


しかし、僕が最初から言い続けていることと、基本同じです。


この人の文章が良い悪いについては僕は言及できる立場にありません。


ただはっきり自信持って言えるのは、僕の記事が劣っている、ということはないです。


この(大学教授の、良くも悪くも形にはまった、、、繰り返し言うと個人的にはいい記事だと思っていますが)記事が使用され、僕の記事が「へたくそ」と一言のもとに切り捨てられてしまうのは、(僕自身の素直な気持ちでは)いじめ・パワハラのように感じてしまいます。


*臼杵氏にどうしても伝えておきたいこと(青葉容疑者と植松被告の話)を前もって書き留めていたのですが、パソコンのワード機能が壊れていて、打ち出すことができません。これらの問題について、「真面目に」話し会いたいのです。


注:僕はこれらの人とは違って、一応常識人なので、余計な心配をされる必要は100%ないですが(笑)。

 

 

2月29日

 

僕は、臼杵氏がトンカツご馳走してくれたり、香港の宿泊準備をしてくれたり、帰りの電車の切符買ってくれたり、、、、「人」としては、非常に感謝しています。しかし、「編集者」としては、間違っている、と思います。原則として、もっと「(有能無能にかかわらず)作者に対して」「(数の多少にかかわらず)読者に対して」、根本的な部分での「誠意」を持つべきだと思っています。

 

 

3月1日 湖北省は遺伝子の宝庫です

 

花岡さんとチエちゃんに送ったメールを、ついでに臼杵氏にも送っときます。


今、モンシロチョウとキャベツや菜の花との関係を調べているのですが、、、、、


チンゲンサイ(菜の花=アブラナと種としては同一で、中国原産となっている)



カイラン(キャベツと種としては同一で、中国原産となっている)


について、知ってることを教えてください。


アブラナもキャベツもアブラナ科アブラナ亜科アブラナ族アブラナ属の種で、互いに近縁。それぞれ多数の変種があり、その多くは(ギリシャなど)地中海沿岸から中東にかけてが原産地(野生種が生える)となっています。ちなみに、一般に菜の花畑に生えているのは、種がなってから食用油を採るセイヨウアブラナ(日本のアブラナはギリシャ付近が原産、セイヨウアブラナはドイツ付近が原産)で、アブラナやキャベツは普通花が咲く前に食べてしまうので、あまり花の姿は見ないようです。


僕の調べている、キク科タンポポ族のレタスと油麦菜/苦麦菜とアキノノゲシの関係にも似ています(苦麦菜の花はよく見るけれど油麦菜の花はあまり見ない)。


レタス(アレチヂシャ由来?)自体も、非常に古い歴史時代に西洋(ギリシャ付近)から中国に持ち込まれて野菜化した系統(中華生菜)と、人類出現以前からもともと中国に分布していた野生種を改良した系統(たぶん「油麦菜」がそれに当たる?)があるのではないかと思われます。また、それとは別に、中国原産で(西洋には分布しない)近年になって野菜化された「苦麦菜」もあるわけです。苦麦菜は元々薬用だったのが、近年急に食べるようになった。実は、キャベツも元々は薬として利用されていたみたいですね。


なお、アブラナ属に非常に近縁な属にダイコン属があって、こちらはユーラシア大陸に広く野生しているようです。アブラナ属(キャベツ、アブラナなど)を含むアブラナ族には、ほかにショカッサイ(ムラサキハナナ)属があって、こちらは東アジアのみに野生しています。陝西省から湖北省にかけて複数の種が分布しているようで、僕も数種を撮影していますが、詳しい分類はできないでいます。そのうちの一系統が日本に帰化して広がっています。


キャベツやアブラナやダイコンについても、あるいはレタスについても、ざっくり言うと、地中海(ことにギリシャ周辺)~中東(ことにイラン周辺)に野生の大半があるのですが、一部は(人類繁栄よりずっと前から)東洋にも野生種が分布していて、その中心は「湖北省」なのですね。遺伝子の宝庫なのです。そこに巨大ダムなんて作ったりするから、、、、、こんなことになっちゃってています。


僕が調べたいのは、そのキャベツやアブラナやダイコンに結び付いた、モンシロチョウのアイデンティティで、、、、。その話はまたあとで。

 

 

3月2日 どうでもいいことですが、一瞥して頭の中に入れておいてください。いつか(何10年先)臼杵氏にとって役立つはずです

 

現代ビジネスとは別メディアですが、近藤大介さんのH女士の記事、興味深く読みました。


H女士の故郷「建始県」は、僕の古くからのフィールドです(山仕事のおばあちゃんが案内してくれたおたまじゃくしのいた水たまりがあったところ)。ここに行って調査を行った日本人は、僕以外にほとんどいないと思います。


武漢の西方の、湖北省の(無名の)山岳地帯が、いったいどんなところなのか、中国の(人類が生まれる以前の)成立、および現在の中国の繁栄(急速な超近代化)、、、ひいては武漢ウイルスの発生と、どのような関連があるのか、、、、少しぐらいは知っていても(考えを巡らせても)いいと思うのですが(以前送信した北村豊さんの記事の中の「SARS騒動のとき、なぜ広州のキクガシラコウモリを調べるために雲南の奥地まで行く必要があったのか?」という問いへの答えとも繋がります)、目先の(いかにもステレオタイプ的な)ことしか興味のない日本のメディアや大衆にとっては、どうでもいいことなんでしょうね。残念です。

 

 

3月2日 国語の試験

 

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/2020年の東大入試で起きた事件。-“国語”の問題に示された受験生へのメッセージ/ar-BB10Cu9q?ocid=spartandhp


文春の記事ですが、臼杵氏の(あるいは釧路の人の)ことを思いながら読みました。


最善の環境とは、ある意味「意欲」ですね。


坪内逍遥は、福沢諭吉の「学問の勧め」の(あの有名な「人は天の上に~」)に触発されて、「小説真髄」を書いた。勉学の努力をすることで、(身分に関わりなく)みな等しく成功のチャンスを与えられる、と。しかし逍遥の目指したのは、その道から外れた「不良の世界」であった、と嵐山光三郎氏は記しています。


途中を端折って、結論だけ言います。


「自由」は、実は「力による抑えつけ」であると。


今回のコロナウイルス騒動に関しては、「中国共産党」は、(いくら世界から批判を受けようとも)最善の方法(ギリギリまでの隠蔽)を選んだ。日本のメディアやエリートたちや大衆の、「自分たちさえよければ」の日和見主義とは、大違いだ、ということです。

 

 

3月3日

 

今後、日本人が各国から入国拒否されていくのでしょうね。


臼杵さんからすれば、僕の原稿など「忙しくて読んでいる暇はない」「幼稚で下手な記事にかかわってはいれない」というのでしょうが。


結局、僕が言い続けてきた様々なこと(ウイルスの起源と湖北省の関係の話は別問題としても)が当たっていたと思うし、中国と日本における「相互進行の過程」もリアルタイムで届け得たと思います。


しかし臼杵氏は完全無視する。何度も言うけれど、載せろ載せない以前の問題です。どうして誠意をもって取り組んでくれないのか。僕に対する侮辱だし、パワハラだと思っています。絶対に許すことは出来ません。

*↑この表現は強すぎたかも知れないですね。貴兄に不快な思いをさせたことを、謝ります。


明日、また内科検査。中国&ギリシャ行きの見通しは立っていません。

 

 

3月4日

 

胃カメラ検査、異常なしです。パソコンは、ほぼアウト(インターネットは可能)。明日保護金貰うので、ワードのインストールを検討しています。でも結局同じかもしれない。モニカに共用のパソコンと携帯電話を買ってもらうことになっていますが、いつ中国に行けるのか見通しがつかない。ギリシャも、本当に行って大丈夫なのか?(チエちゃんはギリシャ人は東洋人を差別しない、というけれど信じることは出来ません)。

 

日本滞在一か月になります。相変わらず、シルバーシートの若者は席を譲ってくれない。過剰に席を譲ってくれすぎる中国はもちろん、サンダース78バイデン77ブルームバーグ78のアメリカとも偉い違いです。

 

自由=既得権確保、ですね(笑)。一党支配の共産主義下の中国では、弱者は弱者同士で助け合ってますが、日本は「自由の国」なので、強いもの勝ちです。大衆(その番頭がマスメディア)は、強者(必ずしも権力者とは限らない)のご機嫌取りだけに精を出しています。

 

マスメディアが大衆受けする話題(有名人・エリート発の御尊托など)を発信し、大衆がその応えを求め、メディアはさらに大衆に向け発信する。実質「表現の自由」など無いのがこの国です。

 

表に現れるのは、一定の枠内の対立軸の上に成り立つ話題だけ。そこから外れた下層の世界は「無視」「蔑ずみ」「排除」。青葉容疑者は「健全な」人々の憎むべく敵であり、植松被告は、大方の日本人の代弁者でもあるわけです。


最近、「有名人」(芸能人に限らない)とは何なのか?「有名」と「無名」にどのような差があるのか?その(メディアや大衆による)「選定」の結果、世の中はどういった方向に向かうのか?

 

そのようなことを考えています。

 

明日か明後日(来週になるかも知れない)、立川郵便局から臼杵さん宛に、内容証明付き手紙を送る予定です(別に目新しいことは書いていません)。読んでください。→同じ文章をメールでもお送りしたので、それを読んで頂けるなら必要ないです。