社会の窓から

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2020-01-21 香港デモの現場で無知で無学な貧乏老人が遭遇した「ある違和感」 いつかどこかで見た「正義」に燃える若者たちの姿

 

【2019.7.7執筆】
青山潤三日記 香港デモ

筆者は、6月9日付けの「現代ビジネス」に、天安門事件30周年に際して「私が目撃した“天安門事件”あの日、中国の若者に訊ねられたこと」という記事を寄稿しました。

掲載3日後の6月12日、全く別の(本来の自分の仕事としての野生生物の観察という)目的で、香港を経由して中国本土を訪ねる予定でいたのですが、ちょうどその日、香港で(ある法案の採決に反対する)デモ隊と警察の衝突があったことを知ったのです。

情報によれば、このあと16日に本番の大規模デモがあるらしい。中国奥地での野生生物の調査を数日ずらし、香港に数日滞在して、ゆっくりと取材してみようと考えました。

香港に対して感じた「ある変化」

筆者の想いは、「第二の天安門事件」を、阻止することです。たぶん、大半の人たちが考えていることとは正反対の意味で、、、。

「天安門」での事件の後、秋口から、中国行きを再開したのですが、以降今に至るまで、それまで上海イン・アウトだった中継地点を香港イン・アウトに変更しました。四川省や雲南省の奥地に向かうためには、香港起点のほうが何かと便利だったからです。以来30年間、筆者は香港を中継点として、日本と中国を行き来しています。

数100回(概算560回)に亘る香港/中国(深圳羅湖)の「国境」通過は、本来の目的(中国奥地での調査活動)遂行のための手続きの一つにすぎず、筆者にとっては、ほとんど意味を持たない時間です。でも、これだけ永い年月に亘り往来を繰り返していると、人間社会には興味も知識もない筆者といえども、香港と中国(深圳)の(様々な意味での)「違い」を、否応なしに感じてきたのも確かです。

筆者は、香港大好き人間でした(過去形にして良いのか、現在形に留めておくのか、迷うところなのですが)。地獄の中国、天国の香港。四川や雲南の山中での調査を終え、広州駅で(出入国手続きをして)香港行き直通列車に乗った瞬間、生きて帰ってきた、という想いに、いつもなったものです。

ちなみに広州から香港への直通列車については、昨年以来、「直通列車が香港中心部(九龍)まで延びたことから、香港の主権に影響が、、、」とかの報道が見受けられ、国外のメディアでも、反対運動などが紹介されたりしています(7月7日にも大規模デモが予定されている由)。

直通列車は、30年前頃から既に存在していました。現実的には、切符の買い方とか、プラットホームの場所とか、レールや使用車両などが改正されただけです。

ということで、筆者は30年間、香港イン・アウトで何百回と日中を往復している、基本「香港大好き人間」なのですが、いつの頃からか、その想いが変わってきました。最近は、香港にいる間はうんざり。むしろ深圳に出るとホッとするのです。いったい何故なんだろう、と不思議に思っています。

むろんその間にあった中国への返還(1997年)が、大きな要因であることには違いないでしょう。香港の文化が中国クオリティに侵されつつある。

香港と中国(面積比では、ほぼ1:10000)では、その民度に大きな差があります。地下鉄の乗り降りひとつとっても、香港の人々はルールを守り、きちんと整列して乗ります。深圳や広州では、地下鉄そのものの見かけは同じでも、乗降客のマナーは香港とは比べようもなく、乗客が降車する前に、我先と団子状態になって乗り込んできます(ただし、そうやって確保した席を、老人を見かけると躊躇なく譲ってくれるのが中国人の面白いところ、そのようなことは香港では滅多に遭遇しません)。

香港が「中国化」することへの懸念(「自由」や「人権」のへ侵害)が為されて当然です。

でも、筆者の気分に纏わりつくのは、それだけでは説明がつかない、もっと別の「何とも言えない嫌な感じ」なのです。そして、その「嫌な感じ」の正体が、今回のデモの取材で、なんとなく見えてきたような気がします。

「正義」の外側から目にした光景と、メディアの報道との落差

筆者は、この20日間(6月12日~7月2日)を通して、香港政府にプロテストを行う学生や、それを応援する市民たちだけでなく、警察、イスラム系の住民、中国本土の人たちの、動きや想いを追ってきました。

まず感じたことは、デモ隊を含む大多数の香港市民たちが、一致団結して行動していることです。余りにも、と言っていいほどの統制・同調。少なくとも日本で見られるような、一般のデモ(特定の思想に基づく一定数の集団行動)とは異質のように思います。

「香港の自由を守る」「中国に主権は譲り渡せない」、、、香港市民のほとんど全てが一致団結し、異見を差し挟むことは出来ません。

一致団結の表れのひとつが、プロテストの時間や空間が一点集中し、かつ波の満ち引きのごとく繰り返し行われることです。

ある時、ある場所では、プロテストの波自体が、そのまま日常の世界と化し、(仕事の場を離れられない人を除いては)市民全員が、「香港の正義・自由を守る」という、同じ想いの許、プロテストに参加しているわけです。

「同調」の力も凄いです。例えば、群衆のマスクが話題になりましたね。筆者も、プロテスト支援者の若者から、何度かマスクを渡されたことがあります。最初の頃は「何でマスクをするの?」と尋ねたら「もし催涙弾を浴びたときに被害を最小限に抑えるため」と説明されていました。

実は、最初の頃は、マスクをしているのは、ごく一部の人々(おそらく警察との衝突を仮定した実働隊の人たちなど)でした。

しかし、やがてメディアから、「プロテストに参加する人たちは皆マスクをしている、その理由は、顔を知られると警察や中国共産党警察からの復讐が行われるから」という情報が流れ始めました。

その情報と呼応するように、日が経つにつれマスクマンの数は増えていき、「権力に弾圧される無抵抗の市民」の象徴として、更なる頻度でメディアに紹介されていくようになりました。

プロテスト集団の拠点は、法議会ビルに至る陸橋周辺と、法議会西側の広場の周辺です。祭り(あえてそう表現します)が終わると、彼らは別の日常の世界に戻っていき、その姿は幻のごとく消え去ります。

そして、ここが本当に香港なのか?と目を疑うような、さらに別の「日常」が出現します。インドネシア(主にムスリム)とフィリッピンの女性たちで埋め尽くされるのです。

フィリッピン人とインドネシア人は、合わせて香港総人口の約4%(各2%)を占め、旧・主宗国の英国人をはじめ、日本人を含む全ての外国人を合わせた人口(約2%)を上回ります。彼女たち(主にメイドとして雇われている人たちで、筆者の宿泊したホテルのハウスキーパーもミンダナオ島出身でした)は、「香港の正義」の外側で暮らしているのです。

「正義の外側」の人々と言えば、 中国本土からの移民?も当て嵌ると思います。1997年の「本土復帰」以降の22年間に、本土から移り住んだ漢民族は香港総人口の10%強を占めると言われています。その人たちが富裕層なのか、ムスリムの人々同様に下層の労働者なのか、筆者には把握しえていませんが、意外なほど少ないような気がします。

「中国は悪」「我々香港人は中国人ではない」「中国人は香港から出ていけ」といった罵声を受け、彼らは何を想うのでしょうか?

彼らの存在を香港で探し出すことは、意外に困難です。たとえ邂逅することが出来ても、本心はなかなか話してくれません。

手っ取り早いのは、隣接した深圳などの中国本土に住む人たちに、香港への想いを聞く事です。

筆者の古くからの友人Sは、中学卒業後に集団就職で広西壮族自治区の田舎の村から深圳にやってきて、ベルトコンべエアで流れてくる電気製品の部品を組み立てる作業員として、2つの日本企業と、1つの香港企業で働いていました。彼女の住むアパートの前の小さな川を隔てたところが香港だったのですが、そこに住んで10年以上の間、香港に行くことは叶わなかった。

筆者のアシスタントのMも、香港に隣接した広東省の田舎の村出身です。初めて行った香港は、新婚旅行の時だったそうです。

彼女たちは、口を揃えて言います。「香港は嫌いだ」と。何故なら、明らかに自分たち(ことに田舎出身の)中国人を見下しているから。

筆者自身、以前こんな経験をしたことがあります。

香港の高級住宅街のあるカフェで、水を持ってきてくれたウエイターに「謝々」とお礼を言ったところ、たまたま隣のテーブルにいた現地在住の日本人のおばさんたちが注意してくれました。「あなた日本人でしょ?シェイシェイと言うのは止めたほうが良いですよ、中国人に間違われて惨めな思いをするから」。

そのMやS(それぞれの田舎の村に住んでいる)にも、今回の香港のデモについての感想を聞いてみました。巷の情報では、中国においては、天安門や香港デモの話題は、ネット規制を受けて見れないようになっている、と聞きますが、少なくとも、筆者やMやSは、(「百度」などの中国ネットを通じて)何故か普通に検索することが出来ています。

その反応と言えば、「香港も中国なんだから中国の法に従うのは当たり前でしょう?」と。当たり前、と言われてしまえば、それ以上話を進めようがありません。

そりゃそうでしょう。日本人同士で「尖閣」や「竹島」の話題をする際だって、「日本領土なのは当たり前」という前提で話が始まれば、話は先に進みません。

「嫌な感じ」の正体は?

「取得権の保守」の自由を香港の人たちが「当たり前」と考えるのも、また「当然」と言えます。 

香港の人々は、中国に返還される前は、いわばイギリスの「使用人」、という位置づけにありました。敢えて言えば(欧米に)見下ろされる存在の弱者だったのです。

しかし、返還後は「主人」(欧米とは建前上対等)になって、中国本土やアジアを見下しだした(筆者が感じる「なんとなく嫌な思い」の正体は、そこら辺にあるような気がします)。

中国に返還されて以降、中国の人々の香港への行き来が、以前よりも簡単になっただろうことは、確かなのでしょう。
 
とはいっても、筆者がこれまで何100回のイミグレーション通過時に見てきたのは、ボーダーを行き来している大半の人々が香港人であるという現実。  

7月1日の昼(ちょうど学生たちが議会に突入した頃)は、連休2日目ということもあってか、深圳/香港のボーダーは、帰路に着く膨大な数の香港人観光客で溢れていました。

返還後、中国共産党政策が香港に侵入、と一般には理解されていますが、実際は香港の資本主義社会が、中国に侵入しているのです(イミグレでの人の流れをみていると、そのことがよくわかります)。

香港の市民は、基本的に「エリート」「富裕層」です。

大富豪の人口は、ニューヨークに次いで世界2位。世帯の一割前後が、1億円以上の資産を有していると言います。

香港が中国に返還され、より恩恵を受けているのは、筆者には「富」という「力」を持った香港の側であるように思われます。

「警察は学生たちを殺すな!」、、、、、警察は、何をしたのだろうか?

ひとことで「力」と言っても、いろんな次元における「力」関係があると思います。

権力、例えば中国共産党による支配、というのも「力」。無意識の同意(正義)に基づく「多数の抵抗勢力」というのも、また別の次元の「力」。そこに捻じれ現象が生じます。

日本においては、「警察」「法」を絶対正義と信じ、「人権運動」とか「デモ」が嫌いで、事件が起こると「警察は発砲して犯人を射殺しろ」「日本の司法は生ぬるい、犯罪者は即死刑に」と唱える同じ人間やメディアが、「警察許さまじ」「人権を守れ」「逆送法は悪」と大合唱。メディアの発信側も受け手側も戸惑っているようにも思えます。

香港市民にとって、自らの自由(取得権)を奪おうとしている「ラスボス」は中国共産党であり、香港の警察は、その「手先」と位置づけられています。

筆者は、この20日間、ずっと警察の動きに注目し続けてきました。警察が動いたのは、6月12日夜の暴動時と、7月1日の議会突入時だけです。筆者は現場にはいなかったのですが、TVで見る画像には、確かに催涙弾を放って応戦しています。何人かの負傷者も出たようです。

警察の第一の役目は、市民の安全を守ることでしょう。12日午後の衝突時は、交通機関が動いている中、学生たちが縦横に走りまくったりして扇動しています。このような状況下では、それが香港であろうが中国や日本であろうが、警察は何らかの制圧処置を採るのは当然です。催涙弾発射は、相手に与える最低限のダメージで効果を得る方法だったように思います。

1日の突入は、武器(大きな鉄塊は武器そのものです)を使っての破壊行為。はっきり言ってテロですよね。

学生側は、初めから話し合いなど想定していません。ただただ「悪」に対して「正義」を押し通す(そのことは15日リーダーたちのブリーフィングでも明言している)。そして、世界を味方につける(“天安門事件”の際、学生側リーダーの一人が「流血を期待している」と煽ったことと同じ流れ)。

「警察は香港人を殺すな」。延々とその大合唱が繰り返されます。張り紙やシュプレヒコールによる、露骨な嘘もヘイトも厭わない。どこかから切り取ってきた写真を「警察の暴力」として至る所に張り付け、嘘の発言も平気で発します。

日本人は香港人の味方と思われているようなので、気安く話しかけて来ます(少なくても100%そう信じて疑わなかった16日頃までは)。「取材してくれて有難う、日本にも伝えてほしい、昨日、僕の友達がここで警察に殺された」と、口々に発するのです。一体何人の友人が殺されたのやら。

警察は実によく頑張っていた。上記した2つの時空以外には、一切抵抗を行っていません。自分たちに向かって「人殺し(むろん一人も殺されていない)」と罵声を浴びせ続ける、数100万人の市民の安全を守るため、ただただ愚直に、身を挺して、ひたすら見守っていたのです。

というよりも、16日より以降は、(そのことの良し悪しは別として)「下手に関わって濡れ衣を着せられるのは嫌」と、市民の安全保護の義務も放棄し、ほとんど表に出てくることさえなかったように思います。

「第二の天安門事件」が作り上げられていく

法議会ビルへの再突入のあった7月1日の夜も、いつものように筆者は群衆の写真を写していたのですが、人々の態度にある変化が見られました。

「何の騒ぎも抵抗も起こさず穏やか抗議を続けている(少なくともそのように報道されている)」はずの学生たちが、議会に強引に突入し、その破壊行動が報道されました。一方、「虐殺を続ける」とされている警察の側の動きは(実在しないのだから)報道しようがない。

「事実とはどこか違う?」と感じる国外メディアも出てくるのではないか、と危惧してのことでしょう。(政府側からではなく学生/市民側からの)取材規制が為され始めました。学生側の望まない異論は排除され、様々な手法を駆使して、自分たちが「被害者」(少数派)であるという印象・主張を世界に発信します。

それまでは自由に撮影することが出来ていた群衆の撮影は、「我々は穏健に行動しているのに海外メディアに暴動と誤解をされると困る」「学生側の不利になるような写真は撮影してはならない」「撮影を許されるのは我々が許可したメディアのみ」と、一切拒否されます。

暴徒のごとく走り回り、物を投げつけ、挙句は工事現場から鉄の車を持ち出して突入の準備。どこが穏健だというのでしょうか?

それらを撮影中、周りの群衆(普通の香港市民です)から何度も写真のデレイトを求められ、強制的に削除させられたのみならず、カメラを奪われてレンズを壊されました。(それでも撮影を続けていると)何度も取り囲まれ、押し倒されたり引きずり回されたりして、命の危険を感じました。

筆者は一介の浮浪者のような存在ですから、大きな問題になることはないでしょう(たとえそのまま殺されてしまったとしても都合よく処理されるでしょう)。でも、本当は、大変なことだと思います。

筆者を救い出してくれたのは、アメリカ人のフリージャーナリストです。彼もまた、フリーであることから(香港市民の総意に従わないことにより)謂れなき要求を受けていた由ですが、白人に対しては強引な手出しは出来ないのです。中立の立場でのフリー報道の重要性を説く彼に感謝し、その場を離れることにしました(その直後に、この日2度目の突入が為された)。

ふと思ったのですが、近い将来中国は香港を手放すのではないか、と。ブルネイやUARのように石油資源があるわけではなく、シンガポールのように地の利があるわけでもない。ただ富だけからなる、面積にして9000分の1の香港が、生き残ることは出来るのでしょうか?まあ、その時は日本が助けてくれるのでしょうけれど。

今後、筆者自身のブログで、(物理的には至近距離で遭遇した)「実態」を、「空気」と「同調」だけで物事を伝える日本のメディアから少し離れた立脚点に身を置きつつ、少しづつ報告していこうと考えています。