社会の窓から

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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代 (日記2019.9.20) /「“涙くんさよなら”の謎・外伝~“外国人が把握する日本人の感性”の妥当性」 ①

「ミー・ジャパニーズボーイ・アイ・ラブ・ユーMe Japanese Boy I Love You」 Billboard 74位/AC 14位 (1964年)
https://www.youtube.com/watch?v=ihXs7Le1NfE
Bobby Goldsboro ボビー・ゴールスボロー (1941~)

先日2019.9.16の記事「アテネから香港へ」の中に、“外国人の日本の捉え方”について、ちらっと書きました。一応それに絡めた話です。

Johnny Tillotsonの日本における実質的最大ヒット曲は「涙くんさよならGood-by Mr. Tears」でしょうね。対する本国での実質的最大ヒット曲は、自身の作詞作曲による「涙ながらにIt Keep Right On A Hurting」でしょう。

「涙ながらに」についても、「涙くんさよなら」についても、書いていけばそれぞれ一冊分の本になってしまいます。ここでは、その2曲自体にはほとんど触れず、しかし関係の深い話をしていきます。

「涙ながらに」が、40年ほど前の時点で100人以上にカバーされていることは、本人が数えています。ユーチュブでも多くのカバーをチェックすることが出来ますが、膨大な数の素人歌唱(もちろん上記100人余にはカウントされていない)や米国以外でのカバーを除けば、大半がカントリー歌手、一部がカントリー系のポップス歌手に振り分けられます。

それは曲の性質を考えれば当然でもあるのでしょうが、ほかの同時代ティーンポップスヒット曲と大きく異なる点があります。それは、カバーの大半が所謂“大御所”歌手によってなされていて、同世代の“ティーンポップス”歌手によるカバーがほとんどないこと。これは、いろんな意味で注目に値します(そのことについては別の機会に述べます)。

数少ない同世代ポップス歌手(といっても後にカントリーに移行しますが)のカバー歌唱が、ボビー・ゴールスボローです。同世代(少し上)の男性ポップ歌手のカバーとしては、ボビー・ダーリンやエルヴィス・プレスリーがありますが、それぞれ独自の解釈による、原曲とはかなり違ったイメージの歌唱です。それに対してボビー・ゴールスボロー盤(1965年)は、おそらく素直に原曲に沿った歌唱だと思われます。ぜひ聴きたくてユーチュブを探したのだけれど、見つからない。

ボビー・ゴールスボローの大ヒット曲と言えば、むろん「一人ぼっちのクラウンSee The Funny Little Clown」と「ハニーHaney」ですね。でも、以前から気になっているのが、64年のミドルヒット曲「ミー・ジャパニーズボーイ・アイ・ラブ・ユー」です(Bobby Goldsboroについての詳細は改めての機会に)。

外国人による「ステレオタイプ」的な「日本音楽観」の典型、と言えそうな曲。昔何度も聴いたことのある曲ですが、この機会にじっくり聴き直してみることにしました。

(お隣の国々を除く)海外で、日本人(の文化)がどのように捉えられているか、、、。それは「中国や韓国と混同されている」と言い切って、ほぼ間違いないでしょう。

それだから、日本人は「国外の人達は日本の本当のカルチャーを分かっていない、あんな国々と一緒にされるなんて、とんでもない、もっときちんと見て欲しい」と、ほとんどの人は思っているはずです。

僕も、一応はそう思っています。でも「待てよ、彼らが捉えている“ステレオタイプ”の日本像は、本当に間違っているのだろうか?」と、ふと思うときがあります。

海外にいるときに日本を振り返って見ると、「的外れ」に思えるステレオタイプ的日本観を、心ならずも納得してしまったりします。

例えば、ギリシャの人達は、イタリアと混同されたりするのが怪しからん!普通に考えて、全然違うことぐらいわかるだろう?というのですが、一般の日本人からすれば、たいして変わらないような気もするわけで、それは決して日本人が間違っているわけではなく、細部については無知で誤解だらけだけれど、全体像としての捉え方は間違っていない、、、、のかも知れない、ということです。

海外から、日本の文化を誤って受け取られるのは、日本人として嫌(僕も基本的には嫌)でしょうが、確かに(遠く離れた国々から見れば)中国や韓国と共通する部分も、相当に多いのではないか、と思われます。

音楽においても然り。演歌だけでなく、和製ポップスやロックも (自分たちの認識とは裏腹に)、西側の音楽とは大きく異なり、東アジア各国相互間でよく似ているように思われます。

海外のアーティストが「日本」を題材とした音楽をプレイするとき、中国など近隣国のそれに似てしまうことは、あながち的外れとは言えないのではないでしょうか?(それは衣や食など他の分野でも)。

客観的に、かつ大局的に捉えれば、実際に似通っているわけだし、ことに外国語で「日本を意識した」新しい曲を作った時などは、日本人からすれば「ステレオタイプ的日本観、このイメージは日本ではなく中国」と反発してしまうでしょう。

自分たちのことは、どうしても色眼鏡で「特別」「他とは違う」と思い込む。自分たち自身は、細部まで違いを理解しているから「区別すること」は、当然だとも言えるでしょう。 

殊に長所については、過剰なほどデリケートに特別視します。ただし、それと相反するように、短所  については、(無意識的にでしょうが)存在自体を覆い隠して、話題に挙げることを拒絶してしまう傾向があるような気がします。

そのことについては別の機会に取り上げるつもりですが、例えば、こんな記事↓もありました。「バンコクのバス」の話題。実情は、この記事やコメントに書かれてある通りだと思います。
https://headlines.yahoo.co.jp/cm/articlemain?d=20190920-00215188-diamond-int

ちなみに「Me Japanese-Boy I Love You」は、あの、バート・バカラック&ハル・デヴィットの作品。「ポップス黄金時代」のヒット曲に共通するのは、「西洋的」(アメリカ的?北ヨーロッパ的?)と言っていいのでしょうか、流れるように奇麗な、心地よいメロディだと思いますが、バカラックの曲は、その対極に位置づけされる、(かなり変わった)「革新的」な曲調です。

バカラック・サウンドは、ビートルズ、フォークロック、モータウン・サウンド共々、60年代中期以降におけるカウンターカルチャーの担い手のとして、音楽界にも大革命をもたらしました。そして、その流れは現在に至っています。
 
この「Me Japanese-Boy I Love You」を改めてじっくりと聴き、そうか、バカラック・サウンドの源は、ある意味「日本(東アジア)情緒」を、そのまま「西洋の音楽」として消化したところにあるのではないか、と気付いた次第です。

僕にはバカラックの良さが全く分からない(僕の感性に合わない)のですが、そのことと、僕が日本の現代音楽に馴染めないということは、関連性があるのではないかと思っています。

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ボビー・ゴールスボロのヒット曲から2曲選んで紹介しておきます。ともにゴールスボロ自身の作詞・作曲によります。

「一人ぼっちのクラウン」 Billboard 9位/AC 3位(1964年)
https://www.youtube.com/watch?v=8-sJ94DZ2J8

かなり確率の高い「法則」があります。ビートルズのブレイク(米初ヒット「抱きしめたい」1964年1月25日Billboardに初チャート)の前にブレイクした「ティーンアイドル」たちは、ビートルズを始めとする新興勢に駆逐されたのち(忘れたころの一発ヒットはあったとしても)「大人の歌手」として再び浮上することは出来ませんでした。「ティーンアイドル」としての「色」がつきすぎて、「大人の歌手」への転換が(本人の努力や能力とは別の部分で)ある意味許されなかった、と考えることも出来るでしょう。 

しかし、デビュー自体は、自身も「ティーンアイドル」を目指して、他の「成功組」と同時期には為していても、「ポップス黄金期」(58年~63年頃)にはなかなか目が出ずに、ビートルズ登場の後(概ね66年以降) になって頭角を現した人たちは、ブレイク出来なかった分、色がつかずに、最初から「大人の歌手」として勝負出来たわけで、「ポップス黄金期」のアイドル達が、メジャーなところでも4~5年、せいぜい7~8年の間しか表舞台に立てなかったのに対し、その後も(多くのアーティストは現在に至るまで)長く第一線で活躍出来ているわけです。

その分け方でいくと、ボビー・ゴールスボロは、極めて微妙な位置にあります。一応、62年末に小ヒットを放ち、「ゴールデンポップス・ティーンアイドル組」の末席に名を連ね、その後64年初頭の「一人ぼっちのクラウン」でブレイクするわけですが、その曲のBillboard初チャートが64年1月18日、ビートルズが「抱きしめたい」で初ランクした、一週間前なのです。

すなわち、「ビートルズに駆逐された」訳でも、「ビートルズ以降に登場」したわけでもなく、(スケールは小さいと言え)ビートルズと共に時代を過ごしてきたことになります。

しかし、「真の後発アーティスト」のように、最初から「大人の歌手」として登場してきたわけではありません。短い期間と言えども「ポップス黄金時代」に籍を置いている。ほんの一瞬であるとは言え、アイドル系の歌手には(そう簡単に落とすことは出来ない)強烈な「色」がついてしまうのです。 

といって、大半の「先輩ティーンポップス歌手(僕の設定した「24人衆」が中心)」のように、そのままポシャってしまったわけではありません。60年代後半になっても人気は続き、60年代末に最大のヒット「ハニー」を放ったあと、70年代にはカントリーに移って、そこでもかなりの実績を上げます。

でも、更に後発の「遅れてきた」(最初から「大人の歌手」としてスタートした)アーティストたちのように、
20年~30年と第一線にいることは出来なかった。現在での位置づけは、「ティーンアイドル歌手」としての側面のほうが強いと思います。その中では最後発で、最も長く生き延びることが出来た歌手である、と。

「箒のカウボーイBroomstick Cowboy」 Billboard 53位 (1966年)
https://www.youtube.com/watch?v=IYW68YMDRmI

ボビー・ゴールスボロは、子供を題材とした歌が得意なようです(のちに長い間児童TV番組のホストもしていたですし)。

その辺りはジョニー・ティロットソンとも少し被りますが、ボビー・ゴールスボロの方が遥かに高グレードです(いわば、後期のティロットソンはゴールスボロの劣化版)。

もっとも、ゴールスボロは、自分の経歴の集大成のような、後年のロングインタビューDVDの中で、若い頃一緒にやってきた仲間として、ロイ・オービソン、コニー・フランシス、ブレンダ・リー、ボビー・ヴィーのメジャー歌手の名と共に、ジョニー・ティロットソンの名が出てきます。似たポジションにあったことは、確かなようです。

それら同世代の「仲間」のほとんど誰一人(「24人衆」の中では唯一ボビー・ダーリンを除き)取り上げてくれなかった「涙ながらに」のカバーをしてくれていることと共に、ファンである僕としては感謝に堪えません。ちなみにティロットソンの方も、ゴールスボロから提供を受けた「レター・トゥ・エミリー」を、MGM時代の最後のリリース(1968年)として紹介していますが、ヒットはしませんでした。後にゴールスボロ自身がセルフカバーしていますが、言うまでもなく、クオリティは後者の方が圧倒的に高いです。

69年の大ヒット「ハニー」(自作ではなくボビー・ラッセル作)は、ゴールスボロの最大のヒット曲というだけでなく、20世紀最大のヒット曲のひとつ、と言えるかも知れません(ポップ、アダルト、カントリーの3チャートでNo.1)。

この曲や、ビル・アンダーソン(1937~)の 「スティル」(ポップ8位、カントリー1位、1963年)のような、奇麗なメロディで、心に染み入る歌詞の「お涙頂戴」曲が、60年代ヒット曲の一つの代表、と言えるかも知れません。以下に記すように、現代の音楽評論家の多くからバカにされ、揶揄されているようですが、別に、声高に叫ぶ「カウンターカルチャー」的ロックやフォークやブルースが尊くて、保守的?なこれらの曲が卑しく見下すべき存在である、ということは無いでしょう。60年代には「デトロイト・シティ」「想い出のグリーングラス」「スループ・ジョンB」などの「帰りたい」曲(そのうち特集予定)も人気を得ました。やはり情緒的な歌詞と美しいメロディからなるこれらの曲は、どうやらあまり日本では受け入れられなかったように思います。

何年か前、R&Bやロックに代表される「カウンター・カルチャー・ポップス」を崇拝し、それ以前の「ポップス黄金期」の曲をバカに仕切っている年少の友人に、偏見を持つべきではない、と諭し、後者の代表として、ボビー・ゴールスボロの「ハニー」を聴くことを勧めました。

数日後、そいつからこんな話を聞かされました。>(ローリングストーン誌かそれに類似する)あるメディアで「つまらない曲」のナンバーワンに「ハニー」が推されていましたよ。それと、同じ特集記事の「過大評価されてきた歌手」の上位にも、青山さんの推す「24人衆」のメンバーがずらりと並んでいました。
もちろんティロットソンもそこに入っていたけれど、「まだマシな方」と注約があったので、良かったじゃあないですか、と慰めて?くれました。

そうなんですよね。ローリングストーン誌を代表とする「カウンターカルチャー」推しの対極にあるのが、「ポップス黄金期」の(何の主張も持たない)「つまらない音楽」なのでしょうから。

でも、この「ブルームスティク・カウボーイ」、かなり怖いです。「平和」とか「自由」とかを声高に叫ぶ歌とは異なる、淡々とした表現の中に、底知れぬ「怖さ」が示されているように思います(写真は余分)。

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次回は、ザ・ビーチ・ボーイズ「想い出の須磨浜(SUMAHAMA)」です。
その後、
ベルト・ケンプフェルト「ジャパニーズ・ファウエル・ソング(さよなら)」
ワンダ・ジャクソン「フジヤマ・ママ」/ハンク・ロックリン「ゲイシャ・ガール」
ジョニー・シンバル「おみつちゃん」
ジョニー・ティロットソン「カントリー・ボーイ(日本語)」
チャーリー・プライド「北風(日本語)」
と続く予定です。