社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

アテネから香港へ(日記2019.8.29)/中東の上空で「香港デモの正義の根源」についての想いに耽る

ギリシャの31日間については、僕のもう一つのブログ「青山潤三の世界・あや子版」のほうに、「エーゲ海のほとりで~老人と美女」 https://blog.goo.ne.jp/gooaojyun として掲載したので、ぜひご覧になってください。

 

ここでは、帰路の飛行機の窓からの俯瞰写真紹介と、それについての僕の思いを綴って行きます。

 

僕がこれまでの記事で、香港デモ隊や暴徒に対して「正義の共同幻想」という言葉を使っていることに対し、
>少なくとも身の危険を承知で行動している者への言としては、放ってはならぬ言葉だと思います。
というコメントを下さった方がいます。

 

それに対する僕のリコメント。
>ISISの人たちにも、そう言えるのですか 香港の若者の「命がけの正義」と、ISISの若者の「命がけの正義」は、どこが違うのか? 客観的に、真剣に、考えたことがありますか?

 

 

まず、はっきりと言っておかねばならないことがあります。

 

「香港デモ」に関しての僕の想いの対象は、香港の「民主主義」についてでも、中国の「共産政権」についてでもありません。

 

無自覚に「空気」に支配されたまま、(常にどこか一方に「事実」「正義」を設定し)「虚」の情報を流し続けて、自分たちの気が付かない間に、結果として暴動の扇動者としての「ラスボス」になってしまっている、「日本のマスコミ」(および彼らに洗脳しつくされている大衆)に対しての、深い失望です。

 

香港の政府がどのような妥協案(場合によっては全面譲歩案)を示してこようが、香港民主主義側は、受け入れるはずがありません。目指しているのは、共有幻想に基ずく「第二の天安門」ですから、、、。

現状「収拾つかなく」なっているのではなく、恣意的に終結を拒否しているわけです。

 

広い視点では、アメリカがバックにいると言えなくもないでしょう。前回コラムのモニカのコメントへの僕の再コメントに「アメリカが裏で操っている可能性」を書いたら、 「でも(残念なことに)証拠がない、、、」と再々コメントが来ました。僕としても「そうだよね(笑)」というしかありません。

 

確かにアメリカの影は感じます。事実、(以前の僕のコラムでも紹介したように)デモ隊の中には、アメリカ国旗を掲げて、助け(?)を求めている姿が見かけられます。

もっとも、香港が期待するほどに、アメリカが手を貸してくれるかというと、それはないでしょう。

アメリカにとっては“よそ事”でしょうし、それ以前に、将来的に見れば、中国との関係の方が大事、と思っているはずです。

 

香港の決意は、もっと大きな力によって齎されています。それは、自分たち自身で作り上げた「虚の(敢えてそう表現しておきます)正義の共有」という、巨大な力です。

 

「平和」「正義」「自由」「平等」、、、奥深い意味を持った言葉を、安易に駆使して、、、、。

 

そこに力を貸しているのは、日本(のマスコミ)です。

 

「あの日本が私たちの正義・自由の獲得を全面応援してくれている」、、、香港の民主的市民は、皆そう信じているのだと思います(僕が心ならずも「懐柔」されちゃってる*のも、そういうことです)。

*「2019.8.31 香港デモレポート」 https://www.shakainomadokara.com/entry/report1 参照。

 

彼等の“思い上がった心”が支持され続けているのは、日本の言論の味方があるからです(万が一異論を唱えると牙を向いてくる*)。

*「現代ビジネス2019.8.4記事」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66271 参照。

 

民主政治による高度な自治 〇
独裁国家による言論の統制 ×

 

本当にそうなのだろうか?ということを、考えて行きたいと思います。

 

 

今回の齢71歳にして初めてのヨーロッパ(ギリシャ)行での収穫の一つが、帰路の飛行機の窓から、中東~西アジアの地形を俯瞰出来たことです。

 

「こんな荒漠とした環境にも人々が暮らしているのだ」という想いの再確認。

 

そのことに関しては後ほど述べることにして、まずは窓からの俯瞰写真の紹介。

 

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↑アテネから30分(ギリシャ上空)

 

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↑アテネから35分(ギリシャ上空)

 

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↑アテネから1時間3分(トルコ上空) 

 

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↑アテネから1時間57分(トルコ上空)

 

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↑アテネから2時間43分(中東のどこか上空)

 

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↑アテネから3時間59分(イラン上空)

 

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↑アテネから4時間4分(イラン上空)

 

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↑アテネから4時間21分(イラン上空)

 

 

だらだらと、あちこち寄り道しながら書いていきます。

 

日本近代文学成立の先陣を切った二葉亭四迷も、自分の作品のことを「牛の涎」とか「落ち葉の掃き寄せ」とか自虐を込めて、自分が思ったことを書き記しているので、僕もそれで行こうと、勝手に納得しています。

 

さっき、たまたまこんな記事に出会いました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190830-00000004-withnews-l15
なんというか、ユルユルでつまんないというか、変な記事ですね。

 

全てのコメントで「まるで下手糞な小学生の日記」「何が言いたいのかサッパリわからない」などとデスられています。

でも、僕は結構楽しく読みましたよ。

深い所で(それとなく)問題提起を行っているように受け取りました。

「起承転結」のある「理路整然」とした文章のみを良しとする、日本の国語教育の方向性の方が、問題があるような気もするのですが。

 

僕は、一昨年の夏から1年半ほどの間に、25回ほど「現代ビジネス」に記事を掲載してきました(「まるで小学生の日記」のような緩々で程度の低い記事)。

 

担当編集者U氏は、以前からの(歳の離れた)友人であり、ある意味「友人枠」の忖度掲載とも言えます(U氏自身がそう発言しているし、笑)。

 

他の(高尚な記事を書くことの出来る)執筆陣に比べて、学歴もなければ、知識も思考力も遥かに劣る、(測ったことないけど多分)知能指数の低い僕の場合は、客観的に見て、「現代ビジネス」クオリティに達しない(幼稚な)記事しか書くことが出来ません。

 

でも、僕の記事に対しては、結構多くの支持者がいるのも事実です。

メジャーな媒体である「現代ビジネス」基準では「多い」とは言えないのかも知れませんが、決して少ないわけではないと思います。

 

U氏は、「青山さんは“エリート集団から蔑まされ排除されいる”という思い込みに支配されている」と言います。

半分はそう(思い込み、僻み)なのかも知れません。

でも、事実でもあるのです。例えば、僕の記事より支持者数が明らかに少ないと思われる記事の作者が「生き残る」ことは出来ても、僕は「生き残る」ことが出来ない(笑)。

 

僕は、中国で30年余(台湾も含めると35年間)野生生物の調査・撮影を続けて来ました。

 

日本の生物のアイデンテティを探るには、中国の生物の実態を知ることが不可欠だと思っているからで、別に中国自体が好きなわけではありません。

もとより、人間社会には全く興味も知識もない事ですし。

 

好き好んではなく、ある意味仕方なく、日本と中国を行き来しているのです。

そしてその中継点としての香港と中国深圳の行き来も、数百回繰り返しています。

 

香港人と大陸中国人の「雰囲気の比較」は、誰よりも体に染みて感じ取っていると思います。

そして、人間社会に興味がないからこそ、先入観(言い換えれば「知識」)なしに、人間の社会をより客観的に受け取ることも出来ているはずです。

 

そのような視点から言えば、僕の幼稚な記事も、それなりの意味があると、自負しているのです(「自負」という言葉、僕は好きなんですね、昔、「ジプシー後藤(自称・後藤自負氏)」という元プロ野球選手の評論家がいて、僕は結構ファンでした=今年85歳でご健在です)。

 

そのことは、コメントの数だけではなく、支持をして頂いたコメントの内容にも反映されていると思います。

 

先に挙げた、僕の「香港デモ」の8月4日付けの「現代ビジネス」記事について、頂いたコメントの幾つかをピックアップしておきます。

「ヤフーニュース」のコメントはピークで150ほどと少ないのですが、コメントの中身は充実していたように思います。

 

(僕から見れば)ステレオタイプの「香港善・中国悪説」コメントと、中立の記事を求める人たちのコメント、見事に半々です(前者には意外と「そうは思わない」が多いのに対して、後者も意外に「そう思う」が多い)。

 

以下、それぞれの立場からのコメントを幾つかピックアップしておきます。

 

前者の代表例:

>おおむね、世界は香港若者は善、共産党ハイブリッド政府は悪という認識なので、枝葉の話は些細な事。[そう思う33/そうは思わない28]

↑このコメントに関して言えば、もしかすると皮肉を言おうとしているのかも知れませんが(笑)。

 

>このコラムを書いた「青山潤三」氏、香港・中国の政治専門家ではないじゃん。【ウイキペディアなどで調べた僕の経歴を記したあと】 中卒で政治専門家でもない、フリーライターじゃん…。[そう思う2/そうは思わない1]

↑僕が最も気に入ったコメントです。

 

>朝日系のフリ-ライタ-ですよね。[そう思う36/そうは思わない30]

>この記事は明らかに不中立、違和感しかないです。参加者は皆すごく平和であり、穏やかです。でも、毎回の終わり頃、大勢の警察が参加者に無差別で暴力を振って、理由もなく逮捕する。若者たちは傘、ダンボール、鍋のふたなどとても簡単なものしか身を守れない。マスク付けるのは、帰宅の途中とか、これから横暴な警察の無差別逮捕を避けるためだよ。現場に何回も行けば必ずわかるのは、若者たち絶対暴民ではない、むしろ本物の正義のヒーローです。[そう思う44/そうは思わない82]

 

>デモ参加者はみんなインテリ層で礼儀正しい。空港閉鎖は、中共の指示による謀略。汚い企みだ。暴力警察が一網打尽に来るぞ。加油香港![別コラムへのコメントです:そう思う19/そうは思わない4]

 

>デモ隊に襲われたことになってるが、デモ隊はプレスを襲わない。一般人が写真を撮ることを制限している。何故ならその写真がアップされて当局の知るところとなるのを恐れるからだ。腕章もなく写真撮ったのではないか?アマチュアじゃないか、このオッサン。デモ隊が統率取れているというが、国会乱入などは闇の部分が多く、当局のやらせという説もある。いい歳してるんだから公正な記事を書きなさい。[そう思う46/そうは思わない67]

 

>この筆者は、何が言いたいのかわからない。カメラを壊された恨みを元にして、いろいろこじつけているような気がする。デモ隊が写真撮るな、と言いだす理由はいろいろあるが、彼らはマスクをしていても顔バレしてしまうリスクを負いながらデモ活動をしているのだから、執拗に撮影を続けたら壊されるに決まっている。そして記者はもしかしたらどこかで共産党とつながっているのではないかな、と匂わせる部分もある。[そう思う97/そうは思わない112]

次いで、賛同コメントのほう。

(まず、上記コメントへの返信コメントの一つ)


>いいか? 現地に足を運んでカラダで感じたもの、目で見たものは説得力がある。ニュースの映像しか見なく、バカ専門家の吹聴しか聞かない、あなたの言うことは説得力がゼロ!
[そう思う28/そうは思わない17]

 

>鋭い見方で、勇気のある記事です。[そう思う31/そうは思わない8]

 

>このような客観的な記事をもっと発信して欲しい。[そう思う27/そうは思わない8]

 

>なかなか良心的、中立的な記事でした。[そう思う47/そうは思わない15]

 

>とても客観的! [そう思う52/そうは思わない26]

 

>客観性に基づき真実を配信した記者は真の良心のある記者だ。[そう思う32/そうは思わない15]

 

>日本の報道の中で最も客観的。[そう思う76/そうは思わない36]

 

>ようやくまともな報道が出てきた。Good job ! [そう思う15/そうは思わない10]

 

>このレポいいよ!今の香港は難しいよ。現場で感じることがホンモノ。香港人は、ヤバイいよ、マジで。 [そう思う18/そうは思わない10]

 

>同じく中国と香港を何度も往復したものとしては、この嫌な感じがすごく分かってしまう。これは現地にしばらくいないとわからない。最初、イミグレ通って香港に入ったら、ほっとしたのを覚えてる。数年経つとそれが逆転している自分に気づいたときがあった。旅行で行くには香港とてもいいところだよ、念のため。数年通って、香港人の心の闇の部分に気がついたときかな。 [そう思う149/そうは思わない17]

 

>この記事が中国寄りに書かれたものだとのコメントがあるけど、香港に長く暮らしたら筆者の気持ちがよく分かる。香港の人たちは一見 人当たりは良いが、付き合ってみると、かなりのレイシストで利己的な人が多く、かつ激昂しやすい。韓国人に似た気持ち悪さがある。 [そう思う81/そうは思わない20]

 

>なんか、香港市民ってやな感じ。中国本土の人たちを見下してるんですね。港区の青山の住民に通じるものがあるような。しょせんイギリスの統治領だったくせに、西洋人ぶってんじゃないよ。
[そう思う33/そうは思わない17]

 

>記事ありがとう御座います。私は北京出身の在日中国人です。我々は(中国人は)香港人を苦手とします。我々を見下している、お金持ちとか、西洋人に頭をぺこぺこする、日本に来ている香港人は、カントン語訛りの英語しか話さない、などからです。祖国が弱った時代に仕方なく外国に取られた中国人が、祖国に帰って来ても、その奴隷根性が抜けられないように感じます。中国人として生きる事は、そんなに卑しい事なのか?そんなに誇りを持てないのかと、彼らを見ています。哀れんでもいますね。今回の記事に感謝します。 [そう思う17/そうは思わない9]

 

>中国在住の老いぼれです。先日中国政権を悪い方向へ誘導する記事のコメント数と比べてみればわかると思いますが、恥ずかしいながらこれが日本のインターネット環境です。他人の言うことに対し確かめる意欲もなく、大人から飴玉でホイホイついていくガキのような若造ばかりですみません。本来わしのような見て来た人がいうべきコメントを代わりに打っていただきありがとうございます。 [そう思う28/そうは思わない21]

 

>中国ではマナーは悪いが老人がいると席を譲り、香港では席を譲らないとは。香港の民主主義って何だろう?  [そう思う41/そうは思わない17]

 

>最近の事件で香港の吉野家が襲撃された、というものがあったな。最初そのニュースを見たとき、また中国の反日ぶりとやらを知らせるニュースかと思えば、警察に対する度を超えた挑発を繰り返し投稿した、馬鹿ユーザーをクビにしたら「正義のデモ隊」がなだれ込んで臨時休業に追い込んだ、というものだった。というか、ぐったりして動けなくなるまで丸腰の学生をぶん殴るのが普通だった岸政権下の日本政府に、中国を責める資格など無いな。[そう思う17/そうは思わない5]

 

>西側諸国、特に米英では、デモ隊は顔を隠す事が法律によって禁止され、マスクなどをするだけで逮捕。これを日本マスコミは書けない。西側諸国、特に米英では、デモ隊は少しでも警察官に暴力を振り回すと、即座に警察に武力鎮圧され、血塗れはただのスタート時点に過ぎない。これを日本マスコミは書けない。なぜ、こういう真実を書けないのか。報道規制の為に書けないか、そもそも正体はプロパガンダ機関だから中国を口撃する事が主要任務の為に書けないか、このどちらだろう。 [そう思う39/そうは思わない6]

 

↓他のコラムでのコメント。

>89年天安門動乱の時には一般の中国人はまだ簡単に出入国できない時代だったのに、64のあとリーダーたちは皆アメリカで姿が現われた。なるほど不思議ではなかったと思います。

 

>筆者は野生生物の観察者。人間社会に対しても、冷静に、客観的に見つめていますね。良い記事です。

 

誉め言葉を羅列するのは、気恥ずかしくなってしまいますが、ほんとに多いのですよ(“サクラ”じゃないです、笑)。

 

僕自身は力づけられるのですが、でも編集部は(そのような読者のコメントに対しては)一切無視を決め込んでいます。

ちなみに、僕が思うに、一般の読者たちは、そのような発言をしたくても、するチャンスがないのです。

あるのは、エリートたちだけに与えられている(実際上の)「(同調に基づく)表現(拡散)の自由」だけなのだと思います。僕の記事に対してのコメント(を寄せてくる人)の傾向と、そのほかの筆者の記事に対してのコメント(の発信人)は、いわば 「種族」が違うのではないかと。後者は、(僕を含め)普段余りインターネットに触れることのない、情報的弱者?のような気が、なんとなくします。

 

僕にとっての「現代ビジネス」は、作者の一人である以前に「読者」としての気持ちをより強く有しています。

「現代ビジネス」に掲載される「香港デモ」関係の記事には、(僕の記事以外にも)他のメディアとは一線を画した客観的な記事が多いので、ファンの一人として誇りに思っているのです。

例:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66723

 

ただ、全体としてみれば、エリート執筆者の「上から目線」的な記事が多いように感じてしまう。

そして、読者層もエリートたち、すなわち、物事の答えを明確に知ろうとする層を中心としているように思われます。弱者の立場に殉じた「下から目線」には応えていない(応えようとしない)のではないかと。

 

先日、作家の安倍譲二氏が亡くなりました(享年82歳)。

そのコラムの中に、心に残るコメントが幾つかありました。

 

>昔、朝まで生テレビで、援助交際を経験した少女との会話で、他の出席者が冷静に時代のカルチャーやら人格形成等の分析した話をしてたの対し、安倍さんは「そんな事やってて怖くないのか?本当に危ないんだぞ?」とずっと心配していたのに好感を持ちました。

 

>あの時の安倍さんを覚えてたの、僕だけじゃなかったんですね。確か宮台真司だったかに対して「先生おっしゃることはわかるんだけども、まだ子供なんだよ。守ってあげなきゃあ!」と言われてたのが、何年経っても、安倍さんを拝見するたびに思い出された。人間として、最もシンプルで、忘れてはいけない言葉だったと思う。

 

メディアにとって本当に必要なことは、上から目線で、高尚な議論をしたり、教示をしたりすることではなく、下から目線で、弱者に寄り添うことではないかと、僕は思うのですが、、、。

 

とは言っても、僕の幼稚な記事の場合は(安倍譲二さんは本来大秀才です)、いくら読者の支持を得たとしても、そう簡単に掲載は叶いません。

今年に入ってからは拒否されっぱなしで、まだ3回しか掲載されていない。

 

拒否といえば、前回(8月4日記事)の末尾に付け加えた一文も、掲載されませんでした。

まあ、荒唐無稽な話題だったので、削られても当然だと思っていますが。一応、ここに復活させておくことにします。当たる可能性はほとんどゼロでしょうけれど、2つの予言です。

 

一つは、僕がデモ隊指揮者だったら、深圳突入を決行する、ということ。

マスクと黒シャツはポケットに忍ばせて。普通にイミグレ渡れば良いのです。入った後で集合する。

香港黒シャツ隊が深圳で暴れ出すと、中国の国軍もそれなりの抵抗はするでしょうが、世界のメディアの報道を考えれば、思い切った行動はとりにくい。

 

とは言っても、黒シャツ隊の為すが儘という訳にもいかんでしょう。

何らかの行動は取らざるを得ない。

中国政府の発表は、「正義の香港民主市民」は信じないでしょうから、その程度がどのようなものであるかには関係なく「軍の暴力によって制圧」され、願い通り「第二の天安門」を演出することが出来るのです。

 

炎上を承知で、「天安門事件」の事実を辿ってみましょう。

現場の証言と自分の体験を併せての、大まかな結論です。

学生たちを主体とした改革派市民たちが、民主化運動を煽ります。

中国全土の民衆(日本からの留学生なども含む)が「民主化」へ向けての総意として、決起します。

 

しかし、「中国共産党」としては、それを許すわけには行かない。

 

「民主化運動」側は、海外ことに西側社会に、助太刀を求めます。

それは「中国共産党」を「悪」として、「民主化改革派」を「正義」として、世界に知らしめることです。

 

柴玲氏曰く、「流血」を待っていた、、、それに尽きます。

 

どのような「流血」があったのかは、定かではありません。

党の正式発表では、この「事件」による死者は319人、天安門広場における死者はなし。

別に「隠蔽」しているわけではないでしょう(僕たちには「隠蔽」が行われているのかどうかの判断は出来ません)。

 

改革者側は「天安門広場で多数の学生・市民が虐殺され、全体として無数ともいえる死傷者が出た」と主張しています。

これも僕たちは、否定も肯定も出来ません。

 

一般論で言えば(失礼な表現になるでしょうが)中国人は平気で嘘をつきます(「嘘」というと語弊があるかも知れません、「事実を事実として認めない気質を持っている」、ということです)。

 

もうひとつ、一般論として、中国人はすぐに暴力に走ります(これも語弊があるかも知れないので言い換えておくと、「感情の流れに対する制御作用を欠く傾向にある」、ということ)。

 

そのような前提で、(幾つかの現場レポートに僕が自分の目で確かめた光景を合わせて)より実態に近いと考えられるストーリーを再構築していきます。

 

改革派学生(または民衆)たちは、投石し、棒を振り回して、軍・警察を煽ります。決して平和的な行動でなかったことは(少なくても僕が成都で見た限りにおいては)断言して良いです。

 

野次馬も加わって暴徒化した群衆は、軍に襲い掛かります。

軍は、それに対抗します。どこの国の軍にしろ、体制が力で脅かされるのを黙って見過ごすことはしないでしょう。

 

あるいは、自分や仲間たちが殺傷されようとしているのを黙って受け入れることは出来ないでしょう。

中には、恐怖のあまり(あるいは上記した中国人の本性ともいえる攻撃性が表に現れて)、 民衆に向かって実弾を打ち付けたり、乱打したりする軍人もいただろうことは、容易に想像できます。

 

それらをも踏まえて、政権側は「319人の死者」と発表しているのです。大変な数です。無念の想いがあるはずです。

この数は、確認し得た最低数です。

それ以上の相当数、もしかすると、全国単位では万単位の死者があったことも考えられます。

 

ただし、天安門広場では死者はなかった。

そのことは、様々な証言を客観的に考証した場合には、最も事実に近い状況であるように思われます。

 

死傷者に対して力を加えた順でいうと、野次馬>改革派>軍(死傷者の数はその逆)、だと思います。

むろん、軍(体制側)による市民への圧殺は、その数がたとえ一人だとしても、あってはならない、弾圧されるべき事でしょう。

 

しかし、「改革者側」は、全てをすり替えてしまっている。

当然、中国政府以外の世界の大勢は「民主主義」社会なわけですから、 「軍による大殺略」を信じることこそ、値打があるわけです。 

 

改革運動の中心を担った人たちは、そのようなアピールをしつつ、自分たち自身は国外(主に香港を経てアメリカ)に脱出、民主主義の英雄となり、今はリッチな生活をしている。

 

結局、彼ら(民衆たちも)の求めていたのは、中国の「民主主義化」にあらず、「資本主義化」だったのですね。

 

「高度な自治」の行きつくところは、「自分たちの意向に従わない存在の排除」でもあります。

 

もし、「天安門」でのプロテストが、結果として「成功」していたとしても(僕は「天安門事件」は、改革者側から見て「成功内」に終わっていると思います、対外的に自分たちの「正義」、中国共産党の「悪」を印象付けることが出来たわけですから)、体制が「共産主義」から「民主主義」に変わったというだけで、実質的には「資本主義社会」に向けてまっしぐらに進む加速度がついていただけだったと思います。


そして、体制も含めて、丸ごと「資本主義社会」になっているのが、今の香港ですね。

 

99年の間、イギリスのおかげでリッチなエリートで有り得たわけで、イギリスに対しては従順に従いつつ、民度の低い同じアジア人を見下してきた。

 

しかし、約束を取り決めて中国に返還帰属した以上、良し悪しとは関係なく、中国共産党の政策に従うのは当然だと思います。「一国二制度」という特別処置も与えられているわけですし、それでも不満なら、出て行けば良いのです。

 

共産党(一党独裁)政権が良いか悪いか、そんなことは僕はバカなので分かりません。

頭のいい人達は簡単に分かるのでしょうけれど、多くの庶民は分からないはず。それだと困るので、分からないまま「空気」に乗っかって、どっちか(当然「悪い」という方)に向かう。

 

中国共産党政権は「悪」。

その根拠の一つは、「自由選挙」が為されないから。

それで想うのですが、「自由選挙」の行使は、果たして民主的な選択なのでしょうか?

 

数を得た側が、力でもって「決定権」を持つ。得をするのは「力」に沿った側。

「力」とは、何も権力に限ったものではありません。

大衆による「同意」で形成された「空気」の塊も、極めて巨大な「力」です。全ては、そこ(「空気の中心」)に向かって流れて行きます。

 

ついでに言えば、「暴力」とは物理的な現象だけではありません。

「言葉の暴力」もあるし、「見下し」や「無視」といった暴力もあります。

ある意味、「自由選挙」が行われる限り、少数派や異端者は存在から除外されて行きかねません。

それは、本当に「民主的」であると言えるのでしょうか?

 

「日本の最大の欠点は“報道(その拡散)の自由”があること」、と言った人がいます。実に深い言葉だと思います。

 

確かに、中国共産党の政権は一党独裁で、国民に様々な足かせを為し、自由を奪っています。

しかし一方で、「高度な自治」による民主主義社会においては、排除されていくかも知れない、(いわば民度の低い)弱者に対しても、「最低限」掬い挙げてくれる制度であるような気もします。

 

同じ監視社会でも、政権による(わかりやすい)監視態勢よりも、「相互同意」の共有に基づく濃密な監視態勢のほうが、僕にはずっと恐ろしく感じるのです。

 

先に挙げた、香港市民の「共同幻想」という僕の言葉に対して、
>少なくとも身の危険を承知で行動している者への言としては、放ってはならぬ言葉だと思います。というコメントを下さった方からは、このようなコメントも頂いています。

 

>米国・英国、台湾、そしてネットにあるSNS等の個人的な発信を見ていると、尋常ならざる状況となっていることが分かります。

 

僕の返信。
>>ネット情報では何もわからないですよ!自分の目と脚と頭で確かめてください。新聞は「読売・産經」も「朝日・毎日」も両方読むことをお勧めします。世界は、アメリカ・イギリス・台湾・日本だけではありません。

 

>個人的には香港にも友人はいますが、ネットで迂闊に連絡を取る事が出来ません。

 

僕の返信。
>>もはや「都市伝説」の域ですね。それが社会の中に定着していることを、恐ろしく感じます。僕は、今、香港の学生たちによって交通機関(車)が封鎖された香港空港を脱出して、中国側の深圳~広州の新幹線(和諧号)の中からリコメントしています。日本からも、香港や中国からも、友人たちと普通に連絡を取り合っているのですが、、、。

むろん中国には、様々な(理不尽としか思えない)規制があることも事実です。グーグルもユーチュブもフェイスブックも使えない。しょっちゅうブチ切れています。

 

でも僕にとっては、コンセントをなかなか使わせてもらわなかったり、Wi-Fi利用環境が限られたりする(貧乏人が不利な状況に置かれる)日本より、どこでもコンセントを使わせてくれたり、Wi-Fiが安く自由に使える中国の方が、ずっと便利です。

 

日本(や香港を含めた西側社会)は、「情報」の自由な拡散・取得が出来る、というけれども、その情報自体が、脆弱で軽薄で信用に欠けます(ウイキペディアなどその最たるもの)。

 

だったら、幼稚で粗末なものであっても、自分で組み立てて行ったほうがマシです(僕の仕事上ユーチュブが見れないのはかなり痛いのですけれど、笑)。

 

中国が、けしからん、出鱈目な国であることは事実です。

中国にいるときは、僕はなんだかんだで一日100回ほどブチ切れています(大袈裟ではなく外出時10分に一度ブチ切れてれば16時間余で100回)。

 

理不尽なことだらけで、こんな国家や民族など、地球上から消滅してくれたなら、僕の仕事(中国での野生生物の調査や撮影)はずっとやりやすくなるのに、といつも思っています。

 

まあ、中国でのブチ切れは日常的なことなので、それも織り込み済みで生活しているわけです。

だから理不尽さの割には、余り落ち込み度はありません。

 

でも、日本で切れるときは、深く鋭く傷つきますね。

海外の人たちから日本は意外に嫌われている、という事実を、皆さんはご存じなのでしょうか? 

そのこと(具体的な例など)については、機会を改めて議論していきたいと考えていますが、その一つが、(本質的な部分での)「差別」が世界でも突出して著しい国だと認識されていることです。

 

美徳とされている(と日本人が思い込んでいる)礼儀とか穏やかさとか勤勉さとか清潔さとかも、視点を変えれば、決してポジティブな面だけでは捉えられないのです。

 

日本は地球の中でもダントツに「美しい国」です。そして、美しくない部分を置き去りにして、美しいままで在り続けます。

 

日本ほど、見事な四季の移り変わりが齎す「豊かな自然」に恵まれた国は、世界中を見渡しても他にないかも知れません。

 

しかし、何も、森や水、奇麗な空気などだけが、大切な自然なのではありません。生命は、そこにだけ息づいているわけではないのです。

 

蝶を一例に挙げておきましょう。「チャマダラセセリ」「シルビアシジミ」、、、日本では絶滅寸前の種です。特殊な環境にのみ(そこに生える食草に依存して)棲息し得るこれらの種は、環境の消滅と同時に、蝶も姿を消します。

 

*豊穣な植生の中に突然かつ定期的に出現する攪乱環境。例えば、植生の侵入を拒否する特殊露岩地帯や、日常的に繰り返し為される河川氾濫など。

 

ところが、中国大陸の少なからぬ地では、逆にこれらの蝶が最も普遍的にみられる繁栄種だったりします。

 

街の中や近郊の荒れ地の、他に何の蝶もいないような「つまらない」環境に、日本においては第一級の保護が必要とされる「特殊な環境に棲む絶滅寸前の種」が、普通に飛んでいたりするのです。

彼らにとっては、そこが「豊かな環境」なわけですから。

 

今(アテネを飛び立ってから5時間余りの間)、窓の下に俯瞰し続けている、緑の森を全く欠いたかのような、岩と砂だらけの荒漠とした地は、一見、地球にとって何の必要もない、余計な空間のようにも感じてしまいます。

 

日本の「美しい豊かな自然」を知る私たちからすれば、可哀そうになるくらい、情けない環境です。

 

でも実際には、ここにも数多くの蝶が棲み、数多くの野生植物が生育しているのです(人間もまた)。

そのことを、深く認識しておきたい、と思っています。

 

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↑アテネから31分(ギリシャ上空①)

 

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↑アテネから35分(ギリシャ上空②)

 

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↑アテネから1時間57分(トルコ上空)

 

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↑アテネから2時間29分(中東のどこか上空①)

 

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↑アテネから2時間43分(中東のどこか上空②)

 

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↑アテネから3時間53分(イラン上空①)

 

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↑アテネから3時間55分(イラン上空②)

 

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↑アテネから4時間4分(イラン上空③)

 

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↑アテネから4時間19分(イラン上空④)

 

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↑アテネから4時間58分。

 

ギリシャでの一か月間の滞在中も、アテネ空港を飛び立ってから4時間余りの間も、ほとんど纏まった雲を見ない快晴が続いていました。

 

しかし、アテネ-シンガポールのほぼ中間地点に差し掛かった、ヒンヅークシュ山脈の南端に差し掛かったあたり(イラン・パキスタン国境付近?)で、突然一面が雲に覆われてしまった。

 

ひと月ぶりに出会った「曇天」です。

この辺りが、ユーラシア大陸の東西の(乾燥気候と湿潤気候の)境目、と考えることも出来るかも知れません。


最後に、もう一つ「予言(?)」を行っておきます。これも前回(2019.8.4)の「現代ビジネス」に書こうとしていたのが、削られてしまった部分です。

 

むろんほとんど冗談で、こんな状況になるわけはありませんが、長い目で見るとあっても不思議じゃないという気もします。

僕がもしキンペイ(中華人民共和国国家主席)だったら。

香港民主派の要求を全部受け入れるだけでなく「香港独立」を承諾します。そして、国交を断絶する(笑)。

今の中国にとって、香港は取るに足らない存在なのではないかと。

「面子」の問題(これが実に大きいのですが、笑)を除けば、香港などあってもなくてもどうでもよい。

面積は1万分の1ほどにすぎません。資源があるわけでも、これといった地場産業があるわけでもない。

同じ小さな国でも、モナコとかリヒテンシュタインのように由緒ある「王国」でもない。

シンガポールのように、「地の利」に恵まれているわけでもありません。

エリートと金持ちが数多く住んでいる、それだけです。

エリートや金持ちなら中国本土にも腐るほどいます。

「空港」を言うなら、目と鼻の先にある深圳空港をリニューアルして巨大化すればいい。中国ならすぐにやれます。

国交断絶しちゃえは、香港の市民は大喜びでしょうね。

でも、本土に渡るのは難しくなっちゃいますよ。

本土の人は、別にわざわざ香港に行かなくてもよいだろうけれど、香港の人は困るんじゃないでしょうか。

でも、それが究極の望み(いや、本当は「中国本土を“民主化”して香港のものにしたい」のかな?第二次大戦中の日本国が「アジアを“解放”して日本領土にしようとした」ように)でしょうから、お互いにとって、万々歳だと思います。

上記の「深圳新空港」の利用を含めて、世界の大勢は、まず香港側につくでしょうが、たぶん、すぐにも見放されちゃいます。

資源も地の利もさしたる歴史もないちっぽけな土地に金持ちだけが「高度な自治」の許、自由に暮らす。。。。望み通り、それで行きましょう。

やがて世界のどこからも見放されるでしょうが、大丈夫です、日本だけは助けてくれる、、、かも知れません。


僕は、無知でバカですから、右とか左とか、善とか悪については、よくわかりません。

繰り返し、、、、僕は無知でバカだから、理論武装とかは全く出来ません。

 

女子供(えらい差別語ですかね?)のように、感覚的にしか捉えることが出来ません。

それで上空の飛行機の窓から、地上を見降ろして、感慨に耽っているのです。

ただ一つ、「一方に偏ること」だけは、絶対にしたくない。

「正義」「平和」「自由」「真実」、、、、どちらか一方に概念が集まってしまえば、これほど恐ろしい結果に結びつくかも知れない言葉だと思います。

方向はどっちでもいい。「一方に集まること」が恐ろしいのです。

僕は、基本的に、香港も中国も大好き人間です。

1万倍の中国に、香港の「民主」「自由」を輸出することなど望みません。

それが為されたとしても、建前だけの「民主的自由」による、出来の悪いクローン人間かアンドロイドのようになってしまうだけなのはないでしょうか?

1万分の1の香港を、「中国共産党の完全支配下」に「拘束」してしまうことも、むろん望んではいません。

香港は、良くも悪くも、西洋の文化や価値観と、東洋の文化や価値観が融合した、世界に類ない魅力的な地だと思うのです。

一国二制度の不思議な体制の許、互いの「正義」へのビジョンを切磋琢磨しつつ、仲良くやって行って貰うことが出来れば、僕としては嬉しいのですが。