社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

2020.4.1(注:エイプリルフールではない)青山潤三日記「新型コロナウイルスについて」

 
以下、
僕だけではなく、様々な人の共同認識です。
福生公立病院のI事務局長。
担当のF医師。
それにたぶんチエちゃんやモニカも、、、、。
 
一言で言えば、「メディアを見ないこと/信じないこと」を強調する必要があると思います。
 
何を呑気な事言ってるんだ、差し迫った危機が伝えられているじゃないか?
という人もいるでしょう。
 
確かに、ウイルスの急変の速度は半端ない。
有効な予防・治療法は未確立。
肺そのほか、無数の疾患を持つ僕にとっても恐怖です。
でも、冷静にならなければ。
 
一歩違った方向から「恐怖」の対象を見てみましょう。
 
どのウイルスも、それぞれに異なる性格があります。
どの病気にも、それぞれ固有の怖さがあります。
「新型ウイルス」も、他の病気と性格は違えど、「脅威の一つ」にすぎません。 
 
心筋梗塞
脳溢血
等々、、、自覚のない人でも突然かかります。
有効な防御策は、確率されていません。
 
突然、ということでは、交通事故だって突然です。
殺人も突然です。
自殺は自己責任でしょうが、背景に基づいて突然行動に移る場合もあります。
 
「新型コロナ」を怖がるように、それらに対しても「正しく」怖がらなければなりません。
驚異の本質に向き合わねばなりません。
それらがきちんと為されているとは思えない。
それら「先輩格」の脅威に向き合わずして、「新型コロナ」の脅威だけに向き合おうとする姿勢は、間違っています。
 
志村さんが亡くなったのは、突然ではありません。長い間、多くの疾患を抱えて患っていたのです。それにも拘わらず「ガールスバー通い」を続けていた。「新型ウイルス」だけに責任を押し付けるのは、おかしくはないですか?
 
「同調空気」によって志村さんの存在を美化し、そのほかの老人や藤浪を(とばっちりでダルも)批判し、
そして、コロナが憎い、国民一体となって戦おう。
チエちゃんに聞きます。国民って、、、何ですか? 僕も一応日本国民なんだけれど。
そもそも、戦う必要があるのでしょうか? 共存じゃダメなのかな?
 
数字で見てみましょう。
 
日本で、
一日どれくらいの死者があるか、ざっと平均の数を算出しました。
 
殺人 1人(世界レベルでは断トツ少いようです)
交通事故死 10人余
インフルエンザ関連死 50人余  
自殺者 100人近く
肺炎による死者 1000人近く
 
コロナウイルス関連は、
現時点での世界の死者は約4万人、3か月分で試算すれば、世界で1日平均500人の死者。
日本のコロナ関連死総計は50余人、仮に2か月弱として50日で割れば、1日のコロナウイルス関連死は平均1人で、 殺人と同じレベルとなります。あくまで関連死です。単独要因とは限らず、ほかの要因と重複します。
 
感染者数で見てみましょう。
 
新型コロナウイルス感染者は、日本で2000人弱ということです。
 
インフルエンザ感染者は、日本だけで約1000万人(死亡者1000人)。
 
それらの数字をきちんと認識し、そのうえで他の脅威とともに、「正しく怖がる」。
コロナが怖い気持ちは分かるけれど、怖いことは他にもいろいろある、ということの認識が必要です。
 
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スタバ&病院まで電車で3駅往復しています。午前中と夜の混んでいない時間帯。さすがに年配者少ないです。
 
コンビニやスーパー、スタバやイオンには老人もいます(スタバは爺はほとんどいず若者中心、イオンはジジババ中心)。
 
年配者は、みんな生きるために必要だから、最低限の外出をしています。集まったりはしていません。
若者たちだけが、集まって騒いでいる。
 
*僕は、原則としてマスクしません。
効果以上に、様々な意味での弊害があります。
中国のように、最初から命令されていたらしますが(意義があると思うので)。