社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

2020.4.11 青山潤三日記 新型コロナウイルスについての僕の意見の纏め

厄介なウイルスは以前から地球上を覆い尽くしている(そのメイン・エリアが中国奥地、中南米、アフリカなどで、なぜか厄介なことに、衛生概念・環境がメチャ悪い地域と重なっている)。
 
人類はこれまで、その脅威と戦い続けてきた、あるいは共存し続けてきた(「闘い」と「共存」は必ずしも「対極」に位置するわけではない)。
 
今回の「新型ウイルス問題」も、その一つに過ぎない。と同時に、これまでに無かった様々な次元からの(人間社会における)現象が展開しはじめている。
 
そのうえで、問題の本質は、幾つかの上位taxaに収斂出来ると思います。
 
●宗教
チエちゃん(たぶんほぼ仏教徒)やジョージ(よくわからん)は、例えば「聖書」をなぞろうとしている勢力があるのではないか、と言います。決して(ローマ法王とかギリシャ正教とか)中軸部ではなく、末端部(捉え方次第ではオタクに近い人たち)、といってそれなりに影響力があり、無尽蔵の資金がある人間。キリストとかイスラムとか仏教とかに限らず(それらが入り乱れて?)金持ちと権力者が呼応し、バカな大衆がそれに従って、、、、宗教への欲望(言葉を変えれば大衆の「正義」への追従)は、あらゆる力を凌駕するのではないか、と思います。
 
●政治
共産主義を選ぶか、民主主義を選ぶか、ということで、極論すれば、NHKだけで良いのか、(逆にNHKを排除し)民放だけにするべきなのか。僕個としてはNHKだけで十分(それも見ない)なのですが、むろん特定の権力によって支配された「国営放送」が民意を反映しない(視聴者の要求を直接的に受け入れることはない)、独裁的で自由がないメディアである、という指摘に対しては同意します。では、民放は、国民みんなの意向に向き合うような「自由」があるのか、と言えば、現実問題として「無い」わけで、その(カウンター・カルチャー志向者の言う)「自由」とは、結局のところ、金と力への追従することによって、「空気」の中に取り込まれた同調者が頂けるご褒美です。それに追従出来ぬ人々は、実質上は限定された「自由」の外に置かれるわけです。僕などにとって、たかだか、習とかプーチンとかトランプ(共産主義じゃあないけれど)とかの独裁者の力などは知れたもので、牙向かえないだけでなく、乗ることさえ出来ない「自由」の装いを纏った「空気に基づく大衆列車」のほうが、遥かに脅威です。それならば、一応全員を乗せてくれる「独裁共産列車」のほうが、ずっと「自由」を与えてくれる、と思っています。
 
●科学 
一言で言えば、人類の科学に対する過信。最初の宗教の話に戻ってくることになりますが、「科学の成果・発展」とは、原理をなぞって探り出しているだけです(それはそれで意味あることでしょうが)。その船頭が科学者なわけですね。科学は素晴らしいし、科学者は尊敬します。でも、大事なことは「それだけではない」と思うのです。
 
●経済
僕の出る幕じゃないし。
 
●芸術
宗教みたいなもんですね。
 
●報道
中国叩きでスタートし、この後もそれを踏襲するのでしょうか。