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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代 (日記2019.10.13) /「“涙くんさよなら”の謎・外伝~“外国人が把握する日本人の感性”の妥当性」 ④

「日本情緒」を感じさせる(ただし多分日本人だけはそのことを否定するだろう)アメリカン・ポップスを中心に紹介していますが、今回はちょっと趣向を変えて、日本を題材にしている、しかし全く「日本情緒」を感じない曲を紹介していきます。

最も有名なのが、C&W歌手の唄う、次の2曲でしょう。

まず、ワンダ・ジャクソンWanda Jackson(1937~)の「フジヤマ・ママFujiyama Mama」(1957年)。 https://www.youtube.com/watch?v=ztFHvNwRb6Q

ワンダ・ジャクソンは、カントリーとポップスでクロスオーバー大ヒットした、自作の 「ライト・オア・ロングRight Or Wrong」(1961年、Billboard-Pop 29位/AC 9位/C&W 9位、64年にRonnie Dove盤でPop 14位)などのカントリー・バラードが、世界的には有名です。 https://www.youtube.com/watch?v=qCxXnD2bVaw

しかし日本ではC&W歌手というよりも、ロックン・ローラー「女エルヴィス」として知られているようですね。中でもこの「フジヤマ・ママ」は、完璧な「ロカビリー」。本国ではシングル・カットされていませんが、日本ではリアルタイムでシングル盤が発売されていて、当時はそれなりの評判を呼んだのかも知れません。

もうひとつ、「歌う村長さん」ハンク・ロックリンHank Locklin(1918~2009)の「ゲイシャ・ガールGeisha Girl」Billboard-Pop 66位/C&W 4位(1957年)。 https://www.youtube.com/watch?v=BYYSYbUyZ2E

カントリー/ポップ両チャートとも、あの「夢の枕をSend Me The Pillow That You Dream On」(C&W 5位/Pop 77位、58年)の上をゆく、ロックリンとしては「Please Help Me, I’m Falling」(C&W 1位/Pop 8位、60年)に次ぐヒット曲です。

この曲も、いわゆる「日本情緒」は、全く感じられませんね。日本ではヒットし難い、カントリー・フレヴァー満載の、とても奇麗な歌です(上に挙げた「ライト・オア・ロング」もそうですが、このような素直な歌唱の奇麗なメロディのカントリー調の曲は日本ではヒットしない)。

実は、ここに挙げたユーチュブは、2曲がセットで収録されています。「ゲイシャ・ガール」と、そのアンサーソング、スキーター・ディヴィスSkeeter Davis(1931~2008)の「Lost To A Geisha Girl」 (C&W 15位、1958年)。

このユーチュブには、「女性歌手のアンサーソング」とだけ紹介されていて、あんまりな扱い(笑)なのですが、もちろん、スキータ-・デイヴィスは、女性ポップ・カントリーの第一人者です。

スキーター・デイヴィスは、ヒット・チャート上の様々な記録?を持っていて、そのトリビアのうち4つを挙げておきます。

①1963年春の大ヒット曲「この世の果てまでThe End Of The World」は、60年代にBillboard チャートにランクされた1万曲ほどのうち、4大チャート(Pop, Adult, R&B, C&W)の全てにトップ10入りした、唯一の曲なのです。ある意味、20世紀最大のヒット曲のひとつ、と言えるかも知れません。ただし、今でこそスキーター・デイヴィスのヒット曲として日本でも良く知られていますが、当時日本ではブレンダ・リーBrenda Lee盤がヒットし、スキーター盤はほとんどヒットしませんでした。ちなみに、60年代の4大チャートのトップ10入りはこの曲だけですが、Pops, R&B, C&Wの3チャートのトップ10入りも、60年代には3曲しかありません。「The End Of~」の他の2曲のうちの一つが(何度も紹介してきているけれど、笑)、Johnny Tillotsonの「涙ながらにIt Keeps Right On A Hating」です(もう一曲は、Johnny Hortonの「アラスカ魂North Of Alaska」)。

②スキーター・デイヴィスは、C&Wチャートに41曲をランクしています。そのうち「I Can’t Help You, I’m Falling Too」と「The End Of The World」が、それぞれ3週間2位にランクされたのが最高位で、「No.1ヒットを持たない、最多C&Wチャート・ヒットを持つ歌手」、という位置づけをされています。

③それと同時に、C&Wチャートにおいて一曲しかチャート・ヒットがなく、その唯一の曲がNo.1ヒット、すなわち「最も少ないC&Wチャート曲(1曲)で、No.1ヒットを持つ歌手」という、正反対の(不思議な)記録の保持者でもあります。

こういうことです。1953年、スキーター・デイヴィスとベティ・ジャック・デイヴィスの「デイヴィス・シスターズThe Davis Sisters」としてデビューし、デビュー曲の「I Forgot More Than You'll Ever Know」が26週間に亘りC&Wチャートにランクされる(うち1位に8週間、ポップ・チャートでも18位)大ヒットとなりました。しかし、この曲のリリース直前(2週間前)に、相棒のBetty Jack Davisが、交通事故で亡くなってしまったのです。デイヴィス・シスターズとしては、唯一のヒット曲が、No.1ヒットのまま、永遠に活動を終えてしまったわけです。

④残されたスキーターは、その後5年間立ち直れませんでした。しかし、58年になってソロ初ヒットの、(前記したハンク・ロックリンの「Geisha Girl」のアンサーソング)「Lost To A Geisha Girl」が、C&Wチャートの15位にランクインします。その後は順調にヒット曲を重ねて行くわけですが、相次いで放ったPop/C&Wクロスオーバー・ヒット曲2曲も、アンサー・ソングだったこと。

ハンク・ロックリンの「プリーズ・ヘルプ・ミー・アイム・フォーリング」のアンサー「アイ・キャント・ヘルプ・ユー・アイム・フォーリング・トゥーI Can’t Help You, I’m falling Too」(Pop 39位/C&W 2位、60年)と、フロイド・クレーマ-の「ラスト・デイトLast Date」のアンサー、「マイ・ラスト・デイト・ウイズ・ユーMy Last Date With You」(Pop 26位/C&W 5位、61年)。

フロイド・クレイマーFloyd Cramer(1933~1994)は、ポップ・カントリーになくてはならない立役者の一人です。彼なくしては、ポップ・カントリーのジャンルそのものが成立しなかったかも知れない、と言っても良いほどです。むろん、ジョニー・ティロットソンも限りなく彼のお世話になっていて、「ポエトリーPoetry In Motion」も「涙ながらに」も、クレイマーのピアノ伴奏がなければ、大ヒットに至っていなかったのでは、と思われます。

ハンク・ロックリンやフロイド・クレーマーら男性陣共々、女性ポップ・カントリー歌手として、まず名前の挙がるのが、スキーター・デイヴィスです。彼女のポップスのトップ10ヒットには、もう一曲「I Can’t Stay Med At You」(Pop 7位/C&W 14位/AC 2位)があって、これなんかは、完璧に「Golden-pops of America」そのものです。 https://www.youtube.com/watch?v=vLpRHW-KT8M 日本では全くヒットしなかったはずです。画像はインドネシアかな?(ブ○男女、ホッコリしますね!) ジョニー・ティロットソンの「ジュディ、ジュディ、ジュディ」(日本ではヒットしなかったアジアン・ヒット曲の一つ)など、日本と東南アジアでは、リスナーの好みに、かなりの差があるようです。

ちなみに、ジョニー・ティロットソンもよくポップ・カントリーの代表的シンガーとして取り上げられますが、彼の場合は、正確には「ポップ・カントリー」というよりも「カントリー・ポップ」(そんなジャンルは聞いたことがありませんが、笑)でしょうね。限りなくカントリー寄りの「カントリー・ポップ」歌手、と言えるのかも知れません。

「ポップ・カントリー」という言葉は「ナッシュビル・サウンド」に置き換えても良いでしょう。「ナッシュビル・サウンド」が、カントリーの世界だけで収斂するのか、ポップ分野にも及ぶのか、定義は良く知りませんが、後者で考えれば、エヴァリー・ブラザースとかロイ・オービソン辺りは相当するでしょうね。ややマイナーだけれど、ジョニー・ティロットソンも、そのひとりです。

リッキー・ネルソンは、より「カントリーっぽい」のですが、「ナッシュビル・サウンド」というイメージは余りない。ブレンダ・リーは、カントリー寄りのポップから、後年はカントリーそのものに移行しました。前々回取り上げたボビー・ゴールスボローも似たような航跡を辿っています。コニー・フランシスとか、ボビー・ヴィントンは、どのように位置づけすれば良いのかな?「カントリーに近いポップ」で押し通した?

レイ・チャールズRay Charles(1930~2004)も、ヒット曲の大半は、カントリー・ソングですね。でも、カントリー歌手ではない(そのような認知はされていない)ことも確かです。ちなみに、日本で最初に「ナッシュビル・サウンド」の言葉が現れたのは、彼の唄う「愛さずにはいられない」が大ヒットした頃だったように思います。 https://www.youtube.com/watch?v=D2xNaes2CiM 「泣かずにはいられないTake These Chains from My Heart」(Pop8位/R&B7位/AC3位)63年

よくよく考えれば、エルヴィス・プレスリーElvis Presley(1935~1977)の幾つかの曲が、最も「ナッシュビル・サウンド」的であるようにも思います。 https://www.youtube.com/watch?v=pXhKWWCCdk8 「好きにならずにはいられないCan’t Help Falling Love With You」(Pop2位/AC1位)61~62年

いずれにせよ、ジョニー・ティロットソンは、上記した歌手彼達に比べれば格は落ちるけれど、カントリー寄りのポップを代表する歌手の一人には違いありません。むろん、カントリーそのものとも大きくクロスしています。

ジョニーから見れば大先輩の、ハンク・ロックリンもスキーター・デイヴィスも(エルヴィスも)「涙ながらに」をカバーしてくれていますし、スキーターは、ティロットソン64年初頭の大ヒット曲「Talk Back Trembling Lips」のB面曲で、やはり自作(奥さんのルシルとの共作)の「アナザー・ユーAnother You」もカバーしています(ティロットソンのヒット曲の多くのバック・コーラスを務めているThe Anita Kerr Singersのアニタ・カーのアレンジ、プロデュースはギターの神様チェット・アトキンスChet Atkins)。 https://www.youtube.com/watch?v=WTslnYu-ejo

ついでに、ティロットソン自身の「アナザー・ユー」も貼り付けておきます。スキーターのほうは「カントリー」のジャンルで、ジョニーの方は「ポップス」のジャンルに属します(どこが違うのかな?)。 https://www.youtube.com/watch?v=cynUV0rhRys

ここで寄り道を。アニタ・カーの綴りを確かめようと、BillboardのC&Wチャート・ブックをチェックしてみました。でも、アニタ・カーの名前が出て来ない(よく似たアニタ・カーターAnita Carterは有りますが、、、ちなみにAnita Carterも「涙ながらに」を唄っています)。載ってない?そんなバカな、、、、いや、ほんとに載ってなかったのです。アニタ・カー・シンガースのC&Wチャート・ヒットは、一曲もない。

ホット100の方には、一曲だけありました。Anita And Th’So-And-So’sの名でリリースされた「Joey Baby」が91位(62年春)にかろうじてランクされています。Bubbling-under the Hot 100 singlesの方にも、Anita Kerr Quartetの名で一曲だけ「Waiting For The Evening Train」が125位(63年)に。Adult Contemporarチャートの方には、67年に3曲がチャート・インしています。最高位は「I Can’t Help Remembering You」の15位。この曲はBert Kaempfertの作曲で、Kaempfertに捧げるアルバム(これがまた素晴らしい!そのうち紹介します)収録曲です。

ところで、チェット・アトキンス(1924~2001)は「ナッシュビル・サウンド」を作り出したカントリー界のボスです。彼の所属するRCAビクターの何10人ものカントリー歌手が、彼を称えるために総出で一曲をリリースしている、、、それも本人の生前に、、、ことでも、存在の大きさがわかります。それらの歌手のチャートヒットを合計すると、余裕で1000曲を超えます。しかし、チェット・アトキンス本人のC&Wチャートヒットは、全部で10曲だけ。最大のヒット曲が、「Yakety Axe」 C&W 4位/Pops 98位(63年)。

C&W界のレジェント・バック・ミュージシャン。ギターのチェット・アトキンス、ピアノのフロイド・クレーマーとくれば、サックスはブーツ・ランドルフBoots Randolph(1927~2007)。

ティロットソンの「ポエトリー・イン・モーション」は、ランドルフのアルト・サックスとの掛け合いです。アウトテイク集に収録されている別テイク↓では、本人たちの収録前のやり取りを聞くことが出来ます(一回り以上年上のランドルフを「ブーツ、しっかり演奏しろよ!」とジョニーがからかっています、生意気なやつです)。 https://www.youtube.com/watch?v=dlcjpTXucko

で、「ポエトリー」は、ジョニーが「涙ながらに」でカントリーに挑戦する前の時期の、ポップ・サイドの代表的ヒット曲なのですが、フロイド・クレーマーもピアノで参加しているように、元々カントリーとも結構接点があったわけです。

ティーン・ポップの典型である「ポエトリー」と、カントリー・クラシックとなった「涙ながらに」は、対極にあるようで意外と親和性もあると思います。両方とも数多くの歌手にカバーされていますが、それぞれ違う分野(および違う世代)のアーティストです。メジャーな歌手で唯一人両曲をカバーしているのが、ベテラン・カントリー歌手のファーリン・ハスキー。上記のように両曲の録音に参加しているのがフロイド・クレーマーで、ブーツ・ランドルフは、サックス演奏で「涙ながらに」をカバーしています。

ブーツ・ランドルフのBillboardチャート・ヒットは、Pop35位/(なぜか)R&B 25位の「Yakety Sax」(上記Yakety Axeのサックス版、63年)のほか、100位以下やアダルト・チャートに計7曲があるだけで、アニタ・カー・シンガース同様に、C&Wチャートには一曲もランクされていません。

C&Wチャートには、フロイド・クレーマーが 5曲(ただし内2曲は、「ラスト・デイト」がC&W 11位/Pops 2位/R&B 3位、「San Antonio Rose」が、C&W 8位/Pops 8位/Adult 3位の、クロス・オーバー大ヒット)。

作曲面で「ナッシュビル・サウンド」のレジェントの一人である、John D. Loudermilkも、自身が唄うカントリー・チャートへのランク曲は5曲だけです(他にPopsにも5曲)。

僕は、ヒット・チャート・マニアを自認しています。

一方的な「主観」だけで、アーティストの良し悪しを決めつけ、他を認めない「空気」を大衆に伝搬する「ローリング・ストーン誌」のような、エセ・カウンター・カルチャーは、クソだと思っています。ヒット・チャートに示された、リアルタイムでの実績を、決して無視してはならないと、強く思っているのです。 

といって、(ヒット・チャートに表れた)リアルタイムでの実績が、全てだとは思っていません。数字に表れない「空気」による評価も、もちろん必要だと思っています。どちらも大事なのです。どちらか一方だけで物事を決めつける傾向を、哀しく思うのです。

まあ、「ローリング・ストーン誌」は、どんなことがあっても「ナッシュビル・サウンド」などは認めないでしょうが(笑)。

アニタ・カー・シンガース(Anita Kerr 1927~)の偉大さの証明のひとつ。あのビートルズの絶頂期の1965年、グラミー賞の最優秀ボーカル・グループに輝いたのは、(ヒット曲は一曲もない)アニタ・カー・シンガースでした(ビートルズは64年に最優秀新人ボーカル・グループ、66年に最優秀ボーカル・グループ)。←うろ覚えで書いてるので正確なことは後で確かめます。

ちなみに、同年(65年)の「最優秀男性歌唱シングル盤」にノミネートされたのが、ビートルズ(ポール・マッカトニーとして)の「イエスタデイ」、トム・ジョーンズの「イッツ・ノット・アンユ-ジャル」、レン・バリーの「123」(「ライク・ア・ベイビー」だったかも知れない)、ロジャー・ミラーの「キング・オブ・ザ・ロード」、そしてジョニー・ティロットソンの「ハートエイクス・バイ・ザ・ナンバー」です。

この時の受賞曲は、ロジャー・ミラーの「キング・オブ・ザ・ロード」で、アンサー・ソングのジョディ・ミラー「クイーン・オブ・ザ・ハウス」(たしか最優秀女性C&Wシングル)を併せて「7冠」です(のちにマイケル・ジャクソン「スリラー」に並ばれるまで最多受賞記録)。

「キング・オブ・ザ・ロード」と「クイーン・オブ・ザ・ハウス」に関しては、興味深い話題が数多くあるので、そのうちに紹介します。

https://www.youtube.com/watch?v=7HBQFjoqDYE
Rodger Miller(1936~1992)「King Of The Road」(Pop 4位/C&W 1位/AC 1位) https://www.youtube.com/watch?v=0jopcDADGtI Jody Miller 「Queen Of The House」(Pop 12位/C&W 5位/AC 4位、65年)
↑映像だけ今入れておきます。「男女同権」というけれど「男と女」の役割は違うと、この映像を見て、つくづく思うのです、、、それを「男尊女卑」と解釈する人もいるのでしょうが、、、、。何回見ても楽しいです(1965年の「万能調理器」みたいなのとか、バク転するアジア人青年とか、、、、)。

なお、ティロットソンは、グラミー賞に2回ノミネートされていて(もう一回は62年の最優秀C&Wシングル「涙ながらに」=上記のジョディ・ミラーもカバーしている)、これは、当時のティーン・ポップス歌手としては、異例のことです。

この「ハート・エイクス・バイ・ザ・ナンバー」のクレジットは、「ジョニー・ティロットソンwithアニタ・カー・シンガーズ」となっています。「涙ながらに」のときにも、バック・コーラスはアニタ・カー・シンガースだったのですが、その時はクレジットなしでした。以前からのお礼を込めてクレジットを入れたのかも知れませんね。

アニタ・カーは、僕の理想の女性です。僕が生まれるのが、あと20年か30年早かったら、アメリカまで行ってプロポーズしたのに、、、と勝手に思っています。

偶然も偶然、今この文章を書いている2019年10月13日ですが、、、、彼女の92歳の誕生日です! アニタ、誕生日おめでとう!!

上に、「そのうち紹介します」と書いたのだけれど、まさかの誕生日です!今、紹介しておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=X6AYx9C5xdk ① Joey Baby https://www.youtube.com/watch?v=g-3AeXSz9Z8 ② Waiting For The Evening Train https://www.youtube.com/watch?v=8CsjcQ5WTlU ③ You Don’t Know Me https://www.youtube.com/watch?v=6G4bxA2Gfnc ④ Detroit City (Bobby Bare) https://www.youtube.com/watch?v=s-4dJoJGkfw ⑤ I Can’t Help Remember You https://www.youtube.com/watch?v=QzA0iNmrEk0 ⑥ Remember When https://www.youtube.com/watch?v=LQnHdxgXW6M ⑦ Sermonette https://www.youtube.com/watch?v=kCPDIR2gHrw ⑧ Sermonette (Bert Kaempfert) https://www.youtube.com/watch?v=4KvW0degDBk ⑨ For Bert ↑①はAnita And Th’So-And-So’s、②はAnita Kerr Quartet、③⑤⑥⑨はAnita Kerr Singers、③と④は、カントリーの帝王、エディ・アーノルド(彼も「涙ながらに」をカバーしている)のヒット曲で有名な、カントリー・スタンダード、、、、を紹介するつもりだったのだけれど、僕が最も好きなアニタ・カー・シンガースの画像「I’ll Hold You In My Hart(ライブ盤)」がユーチュブ上から消えてしまった(パソコンには取り込んである)。仕方がないので、同じ公演(デンマーク・オスロ1963年)から、Bobby Bareの「Detroit City」を紹介しておきます(時々彼女たちも写ります、向かって左の女性がアニタです)。

⑤と⑥は、ベルト・ケンプフェルトの作品。⑨は、アニタが作った、ケンプフェルト(そういえば、彼の誕生日も3日後の10月16日です、生きていればアニタより4つ上の96歳になります、、、、地中海のミノルカ島で亡くなってから、もう50年が経ちます)に捧げる曲(ケンプフェルトも演奏していますが、ユーチュブでは見つからなかった)。

ベルト・ケンプフェルトが亡くなってから(生前からもですけれど)数多の「コピー楽団」が生まれました。見かけだけ真似て、スプリットは全く受け継いでいない偽物ばかりです。そこにいくと、アニタ・カーは違います。ケンプフェルトの本質に迫っています。アニタ流に、内面から、、、、。

ここでは、アニタ・カー・シンガースとしてではなく、アニタ・カー・オーケストラの演奏で、かつケンプフェルト自身の作品ではなく、古い時代のジャズ・ナンバーから、「サモ-ネット」で両者の比較を行っておきます。⑦はアニタ・カー楽団、⑧はベルト・ケンプフェルト楽団、、、、全く別の曲と言って良いほどの違いですが、スピリットは共通しているように思えます。

話があちこちに飛びます(笑)。もう一度ハンク・ロックリンに話を戻します。彼の曲で有名なのは、なんといっても自作の「夢の枕を」でしょう。 https://www.youtube.com/watch?v=3DpfqNg9yn8 ↑は、最晩年(80歳代後半)の歌唱映像(歌い終えた後に、女性司会者が「1967年(正確には62年)ジョニー・ティロットソンでヒットしました」と紹介しています)。

この曲は、ほぼ2年置きにヒットしていて、最初が58年ロックリン自身、次いで60年にブラウンズThe Browns(Jim Ed Brownと彼のお姉さんと妹、66年に日本に来たとき見に行きました、ロビーのソファに座っている姉妹にサインして貰った、、、ものすごい美人でした!)、62年にティットソン、65年にディ-ン・マーチンDine Martin。ポップスではティロットソンが17位、マーティンが22位、アダルトは両者5位、マーティン以外は、カントリー・チャートにもランクインしています。

ディーン・マーチン(1917~1995)は、もちろんポップ・ジャンルの歌手で、歌唱スタイルも全くカントリーとは異なりますが、どことなくカントリー・フレヴァーが感じられます。

夢の枕を(ディーン・マーチン) https://www.youtube.com/watch?v=BTP6b5n0UjM

マーチンもロックリンも、ジョニー・ティロットソンよりも20歳以上年上。ジョニーの曲(殊に「涙ながらに」)は年配歌手に幅広い支持を得ているようで、2人とも「涙ながらに」をカバーしてくれています。

涙ながらに(ハンク・ロックリン) https://www.youtube.com/watch?v=ytobe1U9QOI

涙ながらに(ディーン・マーチン) https://www.youtube.com/watch?v=vQRA8iduklA

この二人、キャラが正反対なんですね。「くそ真面目爺さん」と「酔っ払い不良オヤジ」。もっとも、「正反対」というのは、ある意味「そっくり」(その熱量の程度において)という事でもあるような気もします。 https://blog.goo.ne.jp/gooaojyun/e/f206c62e4946935fc98fb132ebc5d3ae Paul Anka & Neil Sedaka https://blog.goo.ne.jp/gooaojyun/e/1acd8ef8e119a2e4632ecb85c3221a88 Vic Dana & Lou Chrystie

「涙ながらに」や「夢の枕を」がヒットした1962年は、(ポップス側における)「ナッシュビル・サウンド」の時代でした。ヒット曲の半分近くは「ナッシュビル・サウンド」に埋め尽くされたと言っても大袈裟じゃあないくらいです。若手もベテランも白人も黒人も男性も女性も、挙って「ナッシュビル・サウンド」的曲を取り上げました。思いつくまま(あえて「日本語タイトルで」)ごく一部を挙げておきます。

エルヴィス「好きにならずにはいられない」、レイ・チャールズ「愛さずにはいられない」、ブレンダ・リー「フールNo.1」、ボビー・ヴィントン「涙の紅バラ」「涙の太陽」、ボビー・ダーリン「初恋の並木道」「君のための僕」、ロイ・オービソン「恋のむせび泣き」、ブライアン・ハイランド「愛しのジニー」「涙のくちづけ」、ディッキー・リー「河の娘パッチェス」、エスター・フィッリプス「リリース・ミー」、ナット・キング・コール「ランブリン・ローズ」、、、、、、。

これらのポップ歌手の唄う「ナッシュビル・サウンド」曲は、ほぼ全く、C&Wチャートにはランクインしていません。「ほぼ」と訳注したのは、唯一の例外があって、それらのポップ系「ナッシュビル・サウンド」中、ジョニー・ティロットソンの「涙ながらに」と「夢の枕を」だけが、ポップス/カントリーの両チャートで大ヒットを記録しているのです。先にも記した、「涙ながらに」のカバーの大半が、同時代の若手ティーン・ポップス歌手ではなく、カントリー界、ポップス界問わずに、ベテラン大御所歌手によって取り上げられていることと共に、その「意味」の探索については、機会を改めて行いたいと思っています。

この62年には、ポップ・ジャンル側だけでなく、カントリー・ジャンルでも、(上記のジョニーの2曲を除いて)若手歌手による「ナッシュビル・サウンド」的なヒット曲は、ほとんどありませんでした。

62年末から63年にかけて、やっと何人かのカントリー側の若手歌手(ジョニーよりほんの少し年上)が、「ナッシュビル・サウンド」的な曲を、Pops/C&W両チャートで、クロス・オーバー大ヒットさせます。 スキーター・ディビスの「この世の果てまで」、ボビー・ベアの「シェイム・オン・ミー」「デトロイト・シティ」「500マイル」、ジョージ・ハミルトンⅣ世の「アビリーン」、ビル・アンダーソンの「スティル」等々。

ただ彼らは(ティーン・アイドルであり続けた)ジョニー・ティロトソンとは違って、すぐに純粋なカントリー歌手に戻ります(そこら辺のことも別の機会に書きます)。

もうひとつ、これらの「ナッシュビル・サウンド」的ポップヒット曲のほとんどは、日本ではヒットしなかったこと。ジョニー・ティロットソンは、63年の夏に発売した旧譜B面の「キューティ・パイ」(ちなみにジョニー自作のこの曲は、日本でリリースされる直前にアルゼンチンでNo.1ヒットになっている)で日本でのブレイクを為すわけですが、それ以前の1年間、本国ヒット曲(「涙ながらに」「夢の枕を」「どうにも出来ない」「涙でいっぱい」「恋に弱い子」)が日本でもリアルタイムでリリースされ続けていたのです。しかし、(ほかの歌手たちの「ナッシュビル・サウンド」的ポップ・ヒット同様に)全く話題にもならなかった。この系統で日本でヒットした数少ない曲が、レイ ・チャールズの「愛さずにはいられない」と、ナット・キング・コールの「ランブリン・ローズ」、ともに黒人歌手により為されている、というのも興味深いと思います。

良くも悪くも、いかにも「ナッシュビル・サウンド」的な、「癖のない声」の「奇麗なメロディー」の曲は、  日本では受け入れられないのだと思います。

でも、日本には、カントリー音楽ファンも根強く存在しています。ただし、「ポップ・カントリー」的な歌手や曲は、全く支持されていません

対照的に、本格カントリー(ブルー・グラスなど)のコアなファンが一定数存在します。日本のカントリー界は、本国と違って「中間層」が、がっぽり抜け落ちているわけです。例えば「ジミー・ロジャース」という名のアーティストで言えば、19世紀の古典カントリーの「ジミー・ロジャース」だけが注目を浴び、ゴールデン・ポップス時代に活躍した同姓同名の「カントリー寄りのポップ」歌手「ジミー・ロジャース」は、今では全く無視されてしまっています。あのカントリーの神様ハンク・ウイリアムスでさえ、一部のデュープなカントリー・ファンからは、「ポップ歌手にカバーされるような曲は邪道」と見なされているくらいなのです。

そんなわけですから、僕などの「ゴールデン・ポップス」ファンから見れば正真正銘のカントリー歌手であるハンク・ロックリンやスキーター・デイヴィスらも、日本のC&Wファンから見れば、ポップス寄りの(つまらない?)歌手に感じるのかも知れません。

「夢の枕を」は、作者のハンク・ロックリン盤(C&W 5位/Pops 77位、58年)と、セカンド・ヒットのザ・ブラウンズ盤(C&W 23位/Pop 56位、60年)が、「カントリー寄りのポップ・カントリー」、サード・ヒットのジョニー・ティロットソン盤(Adult 5位/C&W 11位/Pops 17位、62年)が「ポップス寄りのポップ・カントリー」、フォース・ヒットのディーン・マーチン盤(Adult 5位/Pops 22位、65年)が、「カントリーの薫りを漂わせたポップス」ということになるでしょう。

1917年生まれのディーン・マーティンの場合は、本来「ゴールデン・ポップス」より一時代前の歌手(40年代~50年代半ばが全盛期)で、60年代初頭は中休み状態だったのですが、ビートルズ登場以降に、(表舞台から姿を消した)ティーン・ポップス歌手たちと入れ替わるように、突然大復活(他の大歌手達も同様、そのことについては機会を改め考察予定)します。

その最初の曲が、ポップスとアダルトで1位になった「誰かが誰かを愛してるEverybody Loves Somebody」。 https://www.youtube.com/watch?v=JO3ULz1MoU0 多くの人が知っているだろう有名曲には、ほかに「誰かが私を愛しているSomebody Loves Me」という曲(Dean Martinも歌っている)や、「誰かが誰かを愛してる」の2つ後のMartinのヒット曲で、Adultチャートで「誰かが~」から3曲連続ナンバー1ヒットを記録した 「(You're Nobody Till) Somebody Loves You」 (Pops 25位)などがあります。

僕が大大大好きな曲が、それらとよく似た題名の「誰かが君を愛してるSomebody Loves You」。

Bert Kaempfert楽団の、確か1962年か63年にリリースされたアルバムの中の一曲(68年のsingle「The First Waltz」のB面にも収められている)ですが、「Somebody Loves You」Bert Kaempfertで検索しても、出てくるのは「Somebody Loves Me」ばかりで(他に「Everybody Loves Somebody」も)、更に腹が立つことに、最初に「“Somebody Loves Me”の間違いではないですか?」という表示が出てきます。結局、ひとつだけ本物の「Somebody Loves You」がありました。

その後、永らく、Bert Kaempfertのその1ヴァージョン以外には出会うことがありませんでしたが、ある時、スターバックスで、この曲がかかっていました。誰が唄っているのか、スタバの店員に調べて貰ったら、ディーン・マーチンとのこと。

それで、再びユーテュブで「ディーン・マーチン“Somebody Loves You”」を調べることにしました。やはり同じです。出てくるのは「誰かが誰かを愛してる」と「Somebody Loves Me」と「(You're Nobody Till) Somebody Loves You」 ばかり。こちらも本物の「Somebody Loves You」を一つだけ見つけました。 https://www.youtube.com/watch?v=p_dLxg5ttxc 「誰かが君を愛してる」ディーン・マーチン

結局、Bert Kaempfert楽団の演奏とDean Martinの歌以外には、どのリストで調べても、ネットを探しても、「Somebody Loves You」は出て来なかった。

実は、長い間気が付かないでいたのですが、、、多くの人が知っていても不思議ではない、ある意味有名な曲だったのです。スキーター・デイヴィスの、あの、もしかしたら20世紀最大のヒット曲かも知れない「この世の果てまで」の、シングル盤B面に収められていたのが、「Somebody Loves You」だったのです。 https://www.youtube.com/watch?v=SuB0QVMijKI 「誰かがあなたを愛してる」スキーター・デイヴィス(1962年)

ただ、A面があれほど有名なのに、B面のこの曲に関する情報は、ほとんどない。現時点で判明していることは、Charles Tobias と Peter DeRoseの作品であるということ、ユーチュブには、Skeeter Davis, Dean Martin, Bert Kaempfert Orchestra、それぞれひとつづアップされていること、それだけです。

「誰かが誰かを愛してる」は、日本でもヒットしました。ナンバーワン・ヒットに相応しい、素晴らしい曲ですが、今ひとつ僕の好みではありません。以前記した、バート・バカラック作品などとも共通する、(うまく言い表せないのですが、「ナッシュビル・サウンド」や「ゴールデン・ポップス」に共通する“流れるような美しいメロディ”ではなく、ちょっと斜めに構えた、と言って良いのでしょうか)現代日本人受けする曲調なのです。それはまた、(洋楽・邦楽を問わず)日本の曲とも共通するように思われます。

一方、「Somebody Loves You誰かが君(あなた)を愛している」は、実に奇麗なメロディです。でも、このような曲調は、日本ではウケないのだと思います。

長年の謎がありました。シングルB面に何故か良い曲が多い。その理由が分かったような気がします。A面は売るための曲、B面は聞いてもらいたい曲、ということ。売れれば聞いてもらえるわけですし、B面に自作曲が多いのも、A面がヒットして売れればより多くの収入に結びつく、という訳ですね。何事にも通じると思います(それが分かっててもなかなか実行できないのが辛いところですが、笑)。

さっき、小柳ルミ子が、ブログに「昨日トイレで死にかけた、、、私はきっと一人で死んじゃうんだ」と、(ケラっつと悲壮感なしに)書いてた話題がヤフーニュースにありました。昔、若いツバメに振られてから一人暮らしなんですね。加藤茶みたいに若い奥さんと一緒に暮らしてる人は羨ましいけれど、、、まあ仕方ありません。

僕は、加藤茶とは違って、小柳ルミ子と似たような(?)立場にあるので、今のうちに誰かに伝えたいことなどを、書き留めておかねばなりません。

僕が生きている間に、三世ほかいろんな人に聴いて置いてもらいたいと思って、僕の「神様」ベルト・ケンプフェルトの、僕の一番好きな曲4つ(すんません、一番が4つもある、、、)を張り付けておきます。

その一つが、この「誰かが君を愛してるSomebody Loves You」です。 https://www.youtube.com/watch?v=XXQcbgWnzgY

「Somebody Loves You」の由来は、現時点ではCharles Tobias と Peter DeRose(Kempfert盤にも2人のクレジットがある)の作品ということ以外、よくわかっていませんが(古い時代の曲?)、後の三曲は、Bert kaempfert自身の作品です。

ちなみに、「月は微笑むThe Moon Is Making Eyes」については、中国昆明で発行されている「Human And Nature」という雑誌に、この曲をテーマにして記事を(モニカの中国語訳で)書いたことがあります。

「トイ・パレード」は、63年のクリスマス・アルバムから。リアルタイムで聴いてから55年間、僕のベスト・ファブリオト・ミュージックです。

「ティプシー・ジプシー」も、当時から最も好きだった曲。長い間この曲が収録されたCDも入手できないでいたのですが、最近ユーチュブで見つけることが出来ました。この曲は、ケンプフェルトと、ケンプフェルトの主なアルバムのアレンジャーでもあるヘルベルト・レイバインの共作です。そして、この実に魅力的なバイオリン・ソロは、レイバイン自らの演奏でもあります。

https://www.youtube.com/watch?v=HIfMYNYfXJo 「The Moon Is Making Eyes」 Bert Kaempfert 1965

https://www.youtube.com/watch?v=RCV7p0zN_TM 「Toy Parade」 Bert Kaempfert 1963

https://www.youtube.com/watch?v=MPp2mZ1snyE
「Tipsy Gypsy」 Bert Kempfert 1963