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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代 (日記2019.9.29) /「“涙くんさよなら”の謎・外伝~“外国人が把握する日本人の感性”の妥当性」 ③

https://www.youtube.com/watch?v=SacJoalRkr0 「ジャパニーズ・ファウエル・ソング(さよなら) Japanese Farewell Song(Sayonara)」(1964年)。 Bert Kaempfert (1923~1980) and His Orchestra。

僕にとっての神様であるベルト・ケンプフェルトは、ドイツの北の方(ハンブルグ)の出身なのですが、終生南の方の国に憧れがあったようで、地中海沿岸地域、アフリカ、東南アジア、中南米などをイメージした佳曲を、数多く創って(あるいは演奏して)います。「ジャパニーズ・ファウエル・ソング(さよなら)」も、その延長線上にあるように思われます。

日本人から見れば、所謂、「外国人の解釈による日本情緒」なのでしょうが、僕はこれが真っ当な(客観的な)解釈だと思います。

この曲は、あの20世紀初頭の大作曲家、アーヴィング・バーリンの作曲で、1955年に公開された映画(バーリング自分も出演していた由)の挿入曲です。もしかすると、「日本」を題材にした、世界一有名な曲かも知れません。

オリジナルは、テキサス出身の女性ポップ歌手Kay Cee Jonesによるリリース。 https://www.youtube.com/watch?v=-H9l4tovIWk
https://www.youtube.com/watch?v=fUDqcnSuKWc 「ジャパニーズ・ファウエル・ソング(さよなら) Japanese Farewell Song(Sayonara)」。 Billboard 52位(1956年)。 Kay Cee Jones ケイ・シー・ジョーンズ(1929~)。

1956年といえば、エルヴィスがブレークした年でもあります。このケー・シー・ジョーンズも、「ゴールデン・ポップス」創世期の歌手の一人、ということが出来るかも知れません(チャートヒットはこの一曲だけ)。別画像(歌手のイメージと曲のイメージがそれぞれ示されています)のユーチュブを紹介しておきます。

ゴールデン・ポップス時代の「ジョーンズ」と言えば、カントリーのジョージ・ジョーンズ、アダルトのジャック・ジョーンズ、トム・ジョーンズといったビッグネームがいます。インパクトで言えば、ヒット曲は僅かしかありませんが、その僅かな曲が、ゴールデン・ポップスを代表する「ハンディ・マン」と「素敵なタイミング」という、黒人ティーン・アイドルのジミー・ジョーンズ。ちなみに、ジャズのクインシー・ジョーンズの活動メインは70年代以降です。

他にも、下位チャートに登場した「ジョーンズ」が何人かいます。その一人がケー・シー・ジョーンズですが、もう一人、以前から非常に気になっている「ジョーンズ」が、タミコ・ジョーンズTamiko Jones(1945~)です。

タミコ。日本人の名前ではないでしょうか。調べてみたら、チェロキー・インディアンとイギリスと日本のミックスとなっていました。1961年16歳でデビュー。初リリースが、 https://www.youtube.com/watch?v=_zzLhwufc2A 「Is It A Sin」 (1963年)。初ヒットが、 https://www.youtube.com/watch?v=NMrDu4mxDKM 「A Man And A Woman」(1966年、Billboard 88位)。 彼女もまた、ゴールデン・ポップスの末席に連なっていると言っても良いでしょうね。ハービー・マンのフルートに乗ってタミコ・ジョーンズが歌うこの曲をフィーチャーしたアルバムには、「123」(レン・バリー、65年Billboard 3位)とか「Sunny」(ボビー・へブ、66年Billboard 2位)とか、ゴールデン・ポップス・ファンにはお馴染みの曲も収録されています。 https://www.youtube.com/watch?v=a2nft9e1lfI 「123」(1967年、Tamiko Jones and Harvey Mann)。 ところで、この「A Man And A Woman男と女」は、あの“ダバダバダ、、、”という、誰でも知ってる曲ですね。日本ではフランシス・レイのサントラ盤で知られていますが、アメリカでヒットしたのは、タミコ・ジョーンズ盤の方です。 タミコ・ジョーンズのBillboardチャート曲は、もう一曲あります。 https://www.youtube.com/watch?v=xJHisyw-wJ0 「Touch Me Baby」(1975年、Billboard 60位、AC12位)。 日本人の血は流れているのですが、歌は全く日本的情緒を感じません。 ついでに言えば、彼女の曲は、日本では70年代末のディスコナンバーによって良く知られているようです。

「ジャパニーズ・ファウエル・ソング」の話に戻ると、https://hi-hyou.com/archives/811に、この曲の作成過程に纏わる詳しい説明と、細野晴臣のカバーバージョンについての考察が行われています。日本では、この曲を含む「日本的情緒曲」をアレンジした彼の一連の仕事が高く評価されているようですが、僕個人的な感性では、その良さが分からない。日本人による (殊に欧米を意識して作られた)ポップスやロックには、どうしても抵抗があるのです。

この曲を、なんと、あのサム・クックがカバーしています。ほんまかいな、と思うのですが、これが素晴らしいのです。 https://www.youtube.com/watch?v=g3e9qWfHffE  「ジャパニーズ・ファウエル・ソング(さよなら)」(1960年)。 Sam Cooke サム・クック(1931~1965)。 僕はR&B音楽は苦手(黒人自体は大好きです!)なのですが、サム・クックは別格。「日本情緒」とかに関係なく、見事な「アメリカン・ポップス」に仕上がっています。