社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

青山潤三日記 2020.7.19

 
西勇完投勝利!
 
まさかの大活躍中の糸原(今年28歳)と一緒に、前代未聞のお立ち台で越境不倫謝罪。
 
西君と三浦さんは、同じ年(今年30歳)なんですよね。
 
メンタルが、、、、、。
 
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三浦春馬さんというのは、僕は知らない俳優なのですが、、、、若い世代には結構有名な方らしいですね。
 
かなりショックです。自死だとすれば、なんで?という想いです。
 
僕は、人を殺すこととか、自死とか、、、、なぜそんなことをするのか、できるのか、分からない。覚醒剤とか、幼児性愛とか、同性愛*(これを一緒にして言っちゃいかんのでしょうけれど、分からないものは分からない)とか、、、自分にはその人たちの気持ちがわからないことが、たくさんあります。
 
「自分はこうだから、他の人も、、、、」とは考えてはいけないのでしょうね、、、、。
 
*僕の理解では、本来は、広い意味の「人格障害」(今は差別語になるので「パーソナル障害」と呼ぶべき由)の一つと捉えて良いと思うのですが。人格障害をwikipediaから引用すると、>「文化的な平均から著しく偏った行動の様式で、特徴的な生活の様式や他者との関わり方、または内面的な様式を持ち、そのことが個人的あるいは社会的にかなりの崩壊や著しい苦痛や機能の障害をもたらしているもの」、となっています。
 
「文化」「社会」を基準として、ある人格(personality)の特徴を、疾病(illiness)であるか、そうでない(いわゆる「正常」の範疇に置かれる)かに判別するわけです。
 
それを決めるのは、エリート学者の見解を政府など権力機関を通して受け止める(場合によっては受け止めざるを得ない)大衆の同意、すなわち「空気」です。
 
振り分けの基準は、数と力ですね。あるものは、疾病ともされず、「健全」なパーソナリティとして「空気」の構成員として成り立ち、あるものは、「〇〇症候群」とか名付けられて、個人の権利主張の対象と成り得、社会からの保護を受けます。
 
そのほかの有象無象は、明確に疾病と判断されて、実質的に社会から疎外、あるいは存在自体が無視される。 
 
精神分裂病→統合失調症、人格障害→パーソナル障害。同義語ではあっても、既存の「悪い印象」 を払拭し、新しい印象に置き換える(当面、それなりの意義はあるでしょうが)。
 
「偏見の払拭を謳っている」としながら、新たな言葉で、さらに振り分けていくことで、偏見に「お墨付き」を与えているわけです。「社会に認められるべき良い偏見」と、「良くない偏見」という、「価値観の空気」の形成を目指して。
 
現在の、「科学的に」高度に進化した精神病理学など、僕は、本物の科学だなどとは思っていません(昔の「精神科のお医者さん」には、尊敬すべき方がたくさんいらっしゃいますが)。
 
強者(その場、その時々の空気への同調者)は、都合よく「科学」(その名目の許での「方法論」)を利用します。
 
U氏は、(前回お会いしたとき)「もしかしたら青山さんは科学を否定しているのでしょうか」と言われましたね。
 
僕は「まさかそんな、、、」と、意表を突かれた思いでいました。「使い方」「科学的なもの(入れ物、方法論)」「ひいては多くの科学者」を否定することはあっても、科学そのものは崇高な存在だと信じているので。
 
とはいっても、最近、その思いが揺らいできているような気もします。科学そのものが、なんだかインチキ臭く感じてきているのです(人類の発展がその恩恵によることは確かだとしても)。