社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

青山潤三日記 2012.7.18 ②

中谷、今日もベンチ。打率一割でも近本使うんだ、、、、。日本人にとって、「ドラ1エリート」は、特別な存在なのですね。
 
で中谷、代走に起用です。陽川センター守備固めとか、江越・中谷代走とか、、、矢野さんは意地でも彼らを打席にたたせたくないんだろうなぁ~。
 
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2日ほど前のニュースから。
 
ブラジルから日本のチームにやってきた(2年間所属)元ブラジル代表のサッカー選手の、契約打ち切りで故国に帰った後のインタービュー記事(日本のメディアによる纏め)。
 
「日本に行くまでに5か国で暮らしたため、ただ言葉が違うだけだろうと思っていたが、そうではなかった」と語ったジョーは、次のように続けている。
 
「我々とはまったく逆の文化で、人々がとても冷たく閉鎖的な国でどう暮らしていくのかを理解するのは難しかった。彼らはアメリカとの戦争に負けて抑圧されているため、熱意と喜びに欠けている」  
 
また、「疑うような目で見られることも多かった。それには慣れたが、誰も英語を話せないので、言葉の問題も経験した」という。  
 
ただ、もちろん良い面もあったようだ。「非の打ちどころのないセキュリティ、けた違いの衛生面、オーガナイズされているところ」を日本文化の長所として挙げている。  
 
ピッチでは結果を残した元セレソン戦士だが、プライベートでは日本の水が合わなかったようだ。
 
勿論、避難轟轟ですね。トップコメントを一つだけ挙げておきます。
 
>国民性の違いが大きいのでは? 日本人は抑圧されているのではなく、周りの同調性を意識して好き勝手やる人がいないですからね。慎しさや察しの文化も理解できない国の人も多いと思います。英語が通じないのはその通りです。
 
僕のリコメント。
 
>>その通りですね。ただ、それを、様々な異なる角度から解析してほしい。「慎ましさ」や「察しの文化」というのも、光の当て方を変えれば、相当にネガティブな要素に満ち溢れています。美点でもあり、欠点でもあるのです。僕(純粋な日本人です、笑)個人的には、ジョーさんやgamさんの言うように、「(日本は)セキュリティや清潔さでは他の国に比べて全然良いと思うけど、つまらん(無意識強要同調空気の許に成り立つ)国」と思っています。
 
あと、英語が通じないのは確かでしょうが、「通じない」以前に、「通じようとする努力をしない」のだと思います。海外在住の機会が多い僕は、滅茶下手な英語ですが、概ね通じています。
 
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京都アニメ一周忌の記事に、こんなコメントがありました。勿論、非難轟轟です。
 
>次は盗作の嫌疑をかけられないように、
しっかりと作者と向き合ってください。
以後、少しでも恨みを買うような審査はしないでくださいね。
作品つくりや、商売とはそのようなもではないでしょうか。
 
>社長さん、綺麗事は良いから、
御遺族への補償や見舞いは相当額当然出してるよね?
かなりの額の寄付が集まってるし。
自分も被害者みたいな空気出してるけど、
青葉容疑者へのクレームの対応は知らないわけなかったよね?
社長はどんな指示を出した?
無視しろだの、おかしい奴だからほっとけとか言わなかった?
社長自身の責任は無いとでも?
あなたの責任も重大です。
 
↓僕の投稿はこれ(前のブログに書いたのと同じ内容)。
 
先日も、「講談社への“逆恨み”脅迫」がありましたね。青葉容疑者の模倣犯かも知れません。犯人への、援護・同情の余地はこれっぽっちもありません。今回は、惨劇を防げて、良かったです。でも、同じようなことは、これからも延々と続くはずです。「恐怖」「許せない」「逆恨み(確かにそれは全てそうなのだろうけれど)」と言っているだけでは駄目です。何故そのようなことが起こるのか?を、根本の根本まで遡って考えてみなくては。
 
京都アニメ社長が事件直後に発した「青葉容疑者は応募していない」の言葉は、限りなく重いと思います。青葉容疑者が、「盗作された」とする作品の脚本。応募作品。手元にある(多分検察に渡っているのでしょうが)元草稿。それらを表に示す(手が加えられていないことを信じて、、、)。似ていようが似ていまいが、結果はどうでも良いのです。根本の責任(事件全体の責任からすれば社長側は1%にも満たないでしょうが)は、双方に課されるべきだと、考えています。
 
↓別コラムへの僕の投稿。
 
>「アニメ」というのは、素晴らしい文化だと思います。
僕の知る限り、どの作品もよくできている。感服します。
しかし、「無意識強要同調空気」の形成源でもあります。
全てを“共感”の「空気」に取り込んでしまう。
そこが非常に怖いところです。
ある意味、薬物中毒と共通する。
そして、その「空気」から弾き出された人間によって、このような犯罪が導きだされる。