社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

2020.3.24 青山潤三日記

コロナ。これを言っちゃお終いだけれど、「なんか変だ」、、、みんな、そう思っているでしょう?

 

パンドラの箱、開けちゃったんじゃないかと。

 

例えば「クラスター」という、僕には意味が良く理解できない胡散臭い単語が蔓延ってますが、なんか、壮大な(意図的か否かはともかく)「誤魔化し劇場」が仕掛けられているみたいに感じます。

 

といった発言をすると、世の中には信じられないほどの単純思考の人間が余りに多いようですから、彼らのステレオタイプ的な解釈でポジションを決めつけられてしまうのが、ちょっと怖いです。

 

例えば、「現代ビジネス」の記事に関しては、「この人は中国の手先、膨大な報酬を貰ってるはず」とかの意見もあります(どうすればそこまで短絡的な思考が出来るのでしょうか、、、もっとも、そんなことが可能なら、やってみたいですけれどね、笑)。一方、今回のような発言をすれば、「日本政府への忖度」とか言われかねません。

 

もちろん、個別の様々な懸念すべき問題はあるわけですから、それらを否定はしません(医療従事者の感染問題とか、米中の陰謀説とか)。でも、それらのことは、一度切り離して考えるべき別問題でしょう。

 

それはともかくとして、新型ウイルス感染による死亡者数/死亡者の中の新型ウイルス感染者。

これは、「イコール」の図式では測れない(次元が異なる)のではないか、ということ。

 

僕は、日本帰国以降、猛烈な吐き気と頭痛が収まらず、連日医者通いです。といって、医師との間に、コロナの話題は微塵も出ません。それが「正常」な状況なのだと思います。

 

中国でも、イタリアでも、昨年中から感染者がいた、という話題がちらほら出始めていますね。そりゃそうでしょう。僕なんて、33年間中国にいて、数えきれないほどの「未知のウイルス」に感染している、と思ってますので。

 

ざっくり計算して、数か月に一度くらいの割合でしょうか、1~2週間ほど、原因不明の腹痛とか眩暈とかが続きます。そんなとき、中国の知人や医者は、「それはウイルスに感染してるね、しばらく静養して、体力を付けて、切り抜けなさい」と、笑って言います。

 

今なら、“それは危機感がなさすぎる、「非科学的」な対処の仕方だ”、と言われてしまうでしょうね。

 

「科学的」な解決がすべてだとしたら、じゃあ、実際にどう対応するべきなのか? 人々は、人類に於ける「科学」の在り方を、過信しすぎているように思えます。

 

結局のところ、「感染防御」に関しては、「無視する」(あえて感染を見つけない)か、「徹底する」(完璧に排除する)か、どちらかじゃないでしょうかね。

 

たぶん既に皆感染している(あるいは早晩感染する)んじゃないかと。

 

この流れは、「老人問題」「優勢思想」そして(根源的な部分での)「報道の在り方」に繋がっていくと思います。

 

そこにあるのは、「空気」への「同調」と、「排除」の問題。

 

そして「表現の自由」のまやかし。