社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

とりあえず香港 ①

コンデンスミルク三世が、僕のツイートを代行してる由(僕自身はツイートの意味も使用法も全く分からない)。「香港の学生を守ろう、警察の暴力を止めよう」という若い日本人の方のツイートへの返事をしてほしいということで、次のコメントを託しました。

あれあれ、、、正義の群衆が、あちこちで「自由の暴動」を行っていますよ。 正義の市民たちは、それを「平和的」に見守っています。 お国のために頑張って暴れろ!と。

「監視カメラの設置(固定カメラ映像の公開)は自由を束縛するので廃止しろ」 という「民主主義者」たちの意見が、さっそく出てきたようですね(複数コラムあり)。 やれやれ、、、、、。

それとも、「中国共産党のやらせ」と信じているのかな?

いずれにしろ、デモに対する異論は「正義」の否定ですから、「悪」(たぶん僕も)ということになりますね。

太平洋戦争、安保闘争、天安門、、、そして香港デモ。 中国人(含む香港人、、、、日本人も)の「共同幻想」は、今も昔もちっとも変っていないような、、、。

でも、ここにきて、どうやら、風向きが変わってきました。

>混乱の中、警察に撃たないでくれとひざまずいて頼む男性の姿が目撃されている。

あるコラムに対するコメントですが、このコメントを真に受ける人は急減してきてるように思われます。

ここから、天安門事件の「真相」に辿り着くまで、どのくらいの距離があるのでしょうか?

「香港デモ」の実態を(客観的に)見ることは、単に「香港デモ」の問題としてだけではなく、「天安門事件」の実態に迫る、大きな意味を包括しているように思われます。