社会の窓から

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沖縄はどこにある? その9 「地図を読めなくなった日本人」 香港デモの報道姿勢に想う、、、(フラッシュバックした30年前のあの日の残像)

チエちゃん(コンデンスミルクⅢ世)に、エルヴィスの話、モンシロチョウの話、野生レタスの話、、、などの記事を送っているのですが、なかなかアップされないでいます。なのに、「香港デモの中国語(香港・台湾で使われている繁体字)訳」とかが、知らぬ間にアップされています。[*「エルヴィスと~」は掲載されていました、ごめん]

ちょっと腹も立つのだけれど、まあ好意でやってくれてるので、感謝しておきます。感謝のついでに、突然思いついて、関連の緊急記事?を書いておくことにします。何度か「現代ビジネス」に載せようとしたのだけれど、編集U氏のお目にかなわず、ボツにされ続けている記事のひとつです。

話は変わるのですが、

「あの時の海老さん」という方(元中国人で現日本国籍、中国のことも、日本ことも、心から愛されている方です)の名言があります。

「日本の最大の欠点は、報道(拡散)の自由があること」。 う~ん、実に深い言葉だと思います。 「エリート」や「頭のいい人」には、分かんないでしょうね。

話をコロコロ変えます。僕の話は支離滅裂なので、「頭のいい」人達は、ついてこれないでしょうが(笑)。

最初に記したように、「現代ビジネス」に掲載した「香港デモ」の僕の記事は、香港において翻訳されて、何種類かのコラムにアップされているようです。

計数万人の訪問者があって、数百のコメントが添付されています。それを一つ一つチェックしていたのですが、あるコラムのコメント群の末尾に、ある映像が貼り付けられていました。

その話をする前に確認しておきます。「香港に自由を取り戻せ!」と叫ぶ、学生を中心とした改革派は、「平和的に抗議を行っている」「警察が私たちを殺そうとしている」と、世界に訴えているわけですが、僕が自分の目で確かめ続けた(6月12日~7月2日)限りでは、必ずしもそうとは思えないのです。

例えば、7月1日夜に僕が撮影した下の画像。学生たちが、工事現場から次々と鉄塊などを持ち出して、法議会ビルに向かいます。いわば特攻隊です。周りの群衆(一般市民や学生たち)は、それを大歓声で応援し続けます。「お国のために」と特攻隊を見守る日本国民の姿と重なります。

このあと、「特攻隊」たちは、無人の法議会会館に突入。この時は、どこにも警察の姿はありませんでした。夜を通しての群衆の「正義のお祭り」です。

なお、この人達は全員マスクを着けているのですが、マスク装着の「本当の」理由は、巷に言われていることとは異なります。世論への“巧妙な”アピールです(「現代ビジネス」記事を参照してください)。

繰り返し断言します。6月12日から7月2日までの間に警察が動いたのは2回だけ。市民の安全を守るため(6月12日:デモ隊の一部が交通機関を遮断するようにして道路を走り回った)と、テロ(良し悪しは無関係としてテロには違いない)行為の阻止(7月1日昼:鉄塊を使って強引に法議会会館に雪崩れ込んだ「突撃隊」に対して)。警察が、市民の安全や社会の秩序を守るのは当然の義務です。個人的見解では「催涙弾」の使用は、全体に及ぼす影響が、最もソフトな手段だったのではないか、と思っています。

しかし、彼等(多くの学生・市民)は、(どこか他の所から引用した「警察の暴行」写真を示すなど)あらゆる手段を駆使して「警察の横暴」を西側社会の世論に訴えかけます。

その、7月1日の昼の「法議会突入」の際の映像が広く世界に発信された後、群衆の対応が一変しました。これまで自由に為されていたフリーカメラマンの取材(暴動群衆の撮影)が、拒否され出したのです。「体制側」によってではなく「改革者側」によって、ということを、皆さんもはっきりと認識しておいてください。その辺りの顛末(学生たちに暴行されたことなど)は、「現代ビジネス」の記事に記しています(上の写真も命懸けで撮影したものです)。

僕は、7月2日、香港を後にし、一度日本に帰国したのち、ギリシャに向かうため7月25日と7月29日に香港空港に降り立ちました。その際、取材は敢えて控えました。日本メディアの(正義と悪の類型に沿った)余りの偏向報道に、ばかばかしくなって「勝手にしろ」という想いだったのです。

ひと月間ギリシャで過ごした後、一度日本に戻ることにしました。8月30日から9月4日まで香港・深圳・広州に滞在することになります。この機会に、ちょっと状況を再チェックしておこう、と考えています。

そう想い立った理由の一つは、ギリシャ滞在中に、冒頭に記した僕の「香港デモ」記事の香港に於ける翻訳記事を見つけたことです。

「韓国デモ」の話を書こうと思って、参考のために「香港デモ」の自分の記事をチェックしてみたら、それまで100も行っていなかったはずの「シェア」が、1000を越していました(現時点で1602)。

有名執筆者ならともかく、僕の記事の場合は、せいぜい10前後(過去25回は最多でも三桁)、それもここ数日の間に急激に増えている、何か理由があるのかも知れない、と思って、調べてみることにしました。原因は、どうやら香港のメディアでの紹介にあるようです(単なる億推ですが)。

それで、そこに寄せられた200余のコメントをチェックしてみることにしました(若者のスラングを使ったコメントが多いので正確な意図の把握が難しいものも少なくありませんでしたが)。

意外なことに、僕の記事に評価や共感を寄せてくれているコメントが半分以上。 「このような中立の記事を読みたかった」 「冷静に客観的に現象を見ている」 等々。

僕は思い違いがあったのかも知れません。

香港市民のほとんど全てが、共同幻想(と敢えて言います)に成り立った「正義の使者」である、と思っていました。どうやら実態は、「正義」に疑問を呈している市民も、一定数いるようなのです。

しかし、「正義」に対して疑問を発すると、それは「悪」ということになります。疑問を呈していても、「正義」の力の前では、塵ほどの力もありません。仮に発したとしても、「正義の力」はそれを封じ込めます。

あと、これは日本に於いてですが、ヤフーニュースの香港デモの記事(概ね「香港が中国共産党の圧力により窮地に立たされている、悪に負けるな香港、頑張れ香港の正義」といった要旨)に否定的なコメントを入れると、かなりの割合でブロックされてしまいます。

「中国共産党の言論規制」を絶対悪とする日本の「民主的」な善良な市民の皆さん(彼らが「旧・民主党」を毛嫌いするのは、皮肉と言えば皮肉です)、批判する権利はあるのでしょうか?

むろん、日本のメディアや多くの読者は、「疑問の提出」は「中国共産党のやらせ」、と考えているわけですが、このコラムで翻訳(コメントで使用)されているのは、一般の大陸中国人には馴染みのない「繁体文字」(香港人や台湾人が利用)です。仮に「中国からのサクラ」が含まれているとしても、一つ一つチェックしてみれば、それが全てではないことが分かります。 

本題に話を戻します。

コメント群の末尾の辺りに添付されていた「ある映像」のことです。

同じ翻訳を基に幾つかのコラムが16日になってアップされていて、そのうちの一つ(現時点で1万3000回ほど訪問)に寄せられた151のコメントをチェックしたところ、その最後から2~3個目(最後にも再度)の所に、 2つの映像が貼り付けられていました。

「固定カメラ」で撮られた映像の復元ですね。

映像の一つは10数秒。黒服集団が夜の道路脇の建物の壁や窓を、鉄棒で所かまわず叩きまくりながら歩いていく姿です。相当に凶暴です。しかし、通行人は驚きもせず、その傍を歩いている、という「日常」の「平和」な風景です(それらは、30年前、天安門事件の日に成都で目にした「改革派群衆」の姿を、僕の記憶の中から呼び起こしました)。 

もう一つは、バーかカフェ。こちらは数分のかなり長い映像です。いきなり黒服集団が乱入し、テーブルから壁から、もうこれ以上はないと思われるほどの勢いで、叩き割っていきます。

注目したいのは、そのこと自体ではありません。そこにはごく普通の多数の若者たちが団欒しているのです。彼らは、自分のテーブルを叩き割られようが、これっぽっちも動揺することもなく、普通に過ごしています。やがて乱入の度合いが激しくなり、若者たち(数十人はいる)は、暴動の傍らを、何事もなかったように、ぞろぞろと整列して、(まるで規則的に地下鉄に順番に乗って行くような趣で)おとなしく、平静に、カフェを出て行きます。

30年前の、天安門事件の日の翌日の、成都の「ミン山飯店」のロビーの様子を、以前「現代ビジネス」に書きました(「私が目撃した天安門事件~あの日、中国の若者に尋ねられたこと」)。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65045 フラッシュバックで、その記憶が蘇ります。

「中国人(香港人も含みます)は30年経っても、ちっとも変っていないな、、、、」

「日本人」も、そこに加えて良いのかも知れませんね。あの時も、日本人の留学生たちは、中国の学生たちが党や軍に抵抗して「正義の暴動」(いや、気に障る人がいるかも知れないので訂正しておきましょう、「正義の改革」ですね)を起こすのを、今か今かと待ち受けていたような、、、、。

太平洋戦争、安保運動、天安門事件、、、、、日本の善良な「正義の市民」たちは、今回も似たような反応を示している、ということでしょう。

で、この映像を見た数時間あと、U氏とチエちゃんにその所在を知らせようとしました。なんと、映像が「検閲不可」になってしまっている(U氏はギリギリのところで一つだけ見ることが出来たらしい)。 https://www.facebook.com/sarah.lau.585/videos/10156830136513533/ https://www.facebook.com/sarah.lau.585/videos/10156830136638533/ 「正義」の香港市民や日本のメディアと大衆たちは、これさえも「中国共産党」の自作自演と言うのでしょうが、ならば、その経緯をどう説明するのでしょうか? 

最新情報によると、「監視カメラは自由を束縛するので廃止しろ」という「民主主義者」たちの意見が、さっそく出てきたようですね(コラムあり)。

共産党による規制は非民主的で、監視カメラ設置を反対することは民主的、、、、まあ辻褄は会うのですが、日本では「もっと監視カメラの設置を」とか言ってなかったでしょうか?

都合の良い「自由」には、やれやれ、、、、という気分です。

↓日本(や香港)における「民主性」とは、国家に束縛されることなく、国民が自主的に相互監視を行うことのようです。 筆者の東京都にあるアパートの近所の町。いたる所に張り付けられています。

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ということで(何が「ということで」なのかはともかく)、「沖縄はどこにある?」のボツ記事のひとつから、「地図を読めなくなった日本人」を、改めて紹介しておきます。

実は、今回紹介する記事のオリジナルは数作品あって(そのうちの一つが、本来の「地図を読めなくなった日本人」)、「現代ビジネス」用に新たに書いたのは、それらの内容の大半を縮小し、一記事として纏め直したものです。

オリジナル記事が見つからないものですから、ここではとりあえず、「現代ビジネス」用に執筆した記事の元記事を紹介しておきます。

[参考]https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58986「現代ビジネス」掲載記事:「なぜ中国の地図には“国境線”の書かれていない場所があるのか?~日中の最前線“琉球弧”の島々をゆく」(原題:「地図を読めなくなった日本人」+「尖閣の他にもヤバイ無人島が数多くある」+「謎の島・伊平屋~沖縄の中に“屋久島”があった」)。注:原題は僕が考えたものですが、「現代ビジネス」記事の表題や小見出しは編集部がつけたもので、僕は関与していません(そのことは「現代ビジネス」の僕の全ての記事に相当します)。

「香港デモ」関連の話と、どのような関係があるのかは、読者の方々自身で考えて見てください(繰り返し言います、頭のいい人には分からないかも知れない、笑)。

ネタばらしをしておくと、僕の伝えたいことは、次の一点です(そのあとの項目はおまけ)。*「日本国民」と共に「香港市民」を付け加えてください。

>>中国の場合は、国家による規制で(まともな)地図を読めなくしている。日本の場合は、国民が挙って目前の便利を追求(無駄な部分を排除)し、自分たちで(まともな)地図を読むことを放棄してしまっている、、、、。 より怖いのは、どちらでしょうか?

地図を読めなくなった日本人

地図は、ある意味、文学であり、科学でもあります。地図を“読む”ことにより、膨大な情報を得ることが 出来ます。その情報は、決して“与えられる”ものではなく、“読み取る”ものです。地図には、無限の情 報のエキスが、凝縮されて詰まっているのです。 ただし、正確な縮尺と等高線が示された地図、というのが条件です。ほかに余計なものはいらない。川や湖 の存在は示されていたほうが良いでしょうね。植生や(特殊な)地質の記号もあれば役に立ちます。道路や 鉄道、それに町の情報などもあるに越したことはないですが、必須ではないと思います。正確な縮尺と等高 線(海深線を含む)さえあれば、(人間の創ったもの以外は)大抵のことが読み取れる。極論すれば、そこ にどんな生物が棲んでいるかも分かるのです。

ところが、最近の地図には、その必須事項が見事に抜け落ちている。その代わりに、余計な情報(様々な交 通機関や、人気のお店や、観光スポットなど)がてんこ盛り。地図が地図であるという本来の姿(シンプル な表現の中に多様な情報が凝縮されている)が消え去り、手っ取り早いサービスだけで成り立っているので す。目前に必要な情報のみが、最初から切り取れた見栄えの良い状態で示される。 地図を読む側は自分では何もしなくても、目的に導いてくれるわけです。距離感とか位置関係も、あまり必 要じゃあないみたいです。指示に従っているだけで辿りつけるのですから。そこには、無駄(地図にとって 命である「基本情報」もそれに含まれる)を省くことこそ正義であり、社会にとって必要なこと、という意 識があるのだと思われます。

日本の(一般的・商業的な)地図は、ほんの 10~20 年ほど前までは、そうではありませんでした。世界に誇 りうる「基礎情報に満ちた」市販地図が、ごく普通にあったのです。それが、ある時(具体的には大手地図 出版社の「売れ行き」に基づく製作姿勢の方向転換)から、一気に消えてしまった(今入手可能な「まとも な」地図は、国土地理院発行の地図と、山岳地図くらい)。

アメリカの地図は感動しますね。ごく普通の書店で入手できる一般地図にも「基本情報」が満載です。近場 では台湾の地図が良い。一般の市販地図にも風格があります。 地図に関しては、どうやら中国と日本が、圧倒的に後進国(日本の場合は「後進」ではなく「後退」)であ るような気がします。

中国の地図は、どうしようもない低クオリティです。距離や縮尺は出鱈目、それはもう情けなくほどです。 ただし中国の場合、高クオリティの地図がないわけではありません。日本の国土地理院をも上回るかも知れ ない、詳細な地形図があります。しかし市民が入手することは出来ません。大衆に「自分で考え」られては、 国家として困るでしょうから。 中国の場合は、国家による規制で(まともな)地図を読めなくしている。日本の場合は、国民が挙って目前 の便利を追求(無駄な部分を排除)し、自分たちで(まともな)地図を読むことを放棄してしまっている、、、。 より怖いのは、どちらでしょうか?

陸地のない海は地図にとって無意味な存在?なのだろうか

とにかく、今の日本の地図は「能率」一辺倒です。その例の一つが、収納範囲や収納パターン。 まともな地図、例えば国土地理院の日本全土図を例に挙げると、一枚の地図中に日本全土が収納されていて、 各地域の位置関係が一目瞭然です。地図の端方には、日本周辺の各地、ロシアの沿海部や朝鮮半島や中国大 陸東岸部や台湾なども収録されています。距離や、地形や、海の深さを眺めているだけで、全体の中で個々 の地域がどのように結びついているのかを感じ取れ、日本列島の成立過程の断面を読み取れるように思うの です(「沖縄」が、たぶん多くの日本国民が漠然と思っているのとは少し異なる、特殊な位置関係の組み合 わさりで成り立っていることも伝わるでしょう)。

しかし、一般に市販されている地図からは、そのような読み取りは行えません。例えば、日本全土図の場合、 台湾や中国大陸や朝鮮半島の部分は、真っ白で地形の記入が何も無かったりします。白いのはまだ良いほう で、「日本地図」だから外国は必要ないということでしょうけれど、(せっかくスペースがあるのにも関わ らず)、その部分がカットされてしまっていたりします。南西端の与那国島の先には、台湾はないですし、 九州の北の対馬の先にも、朝鮮半島はなかったりします。

さらに、最近の大抵の日本全土図は、(出来る限り空白部を埋めて能率よくということで)奄美・沖縄が別 枠の中に示されている。九州からどのように繋がっているのか、台湾にどのように繋がっていくのか、分か らないのです。 また、地形ではなく、行政で区分しようとする傾向が、(最近の地図ではことに)顕著です。沖縄県内の地 図で言えば、本島以外の島々は、どれも一律に別の枠内に収め、それをページの中にくっつけて示します。 隣接した島同士の距離感も、遥かに離れた島同士の距離感も、地図を見るだけでは、分かり得ない。

インターネットに紹介されていた地図から、2 例を示しました。

1:「鹿児島県」の地図(トカラ列島の紹介)。県の公的機関のサイトからの引用です。キャプションに「こ のあたり」とありますが、県本土とは別枠(右上)に示されているので、「どのあたり」なのか、さっぱり 分からない(それに、島嶼部の縮尺が本土よりも小さい)。 ちなみに、本文には「北緯 30 度線の通るフリイ岳(口之島の北部)以南はアメリカの統治下に、、、」と記 されています。これじゃ、まるで口之島が日米で 2 分されてしまっているように(普通に読めば)受け取れ ます。公的サイトが提供する情報の、余りのクオリティの低さは、なんとかならないものかと、、、。

2:こちらは「沖縄県」。中琉球の沖縄本島周辺部と南琉球の先島諸島を一枚の図に収めれば、間に無駄な 空間が生じてきます。しかし、それは果たして“無駄”な空間なのでしょうか? 何もないところをそのま ま示すことにも、大きな意味があると思います。そのことから、様々な意味を読み取ることが出来るのです。

3:さらに、インターネットで「沖縄・地図」で検索し、図版の項をチェックしてみました。その最初に出 てきた地図から 5 枚目までを示します。どれも同じように、「枠組み入り」です。10 数枚目(右下)に、や っと続いている地図が出てきたと思ったら、島の間の海をショートカットして続けている(こっちのほうが さらに悪質だと思う)。

4:同じような地図が 48 枚続いて、49 枚目で、やっと繋がっている地図が出てきました。

琉球弧の地図のトリビア

その、49 枚目の地図を見て、たぶん大多数の人が気になるのは、中央辺りに聞きなれない島の名前「硫黄鳥島」 が大きく示されていることではないでしょうか? この島は、沖縄県の北端に位置します。おそらくそれが理由で、大きく名が表示されているのだと思われます。

西南諸島の内側(地図の左上側)に沿って、海深 1000m を超す琉球トラフが横たわり、外側(地図の右下側)に は、海深 5000m を超す琉球海溝が切れ落ちています。琉球海溝の東の太平洋上にある大東諸島と、琉球トラフの 西の大陸棚上にある尖閣諸島を除く全ての島々は、琉球トラフと琉球海溝に挟まれた海嶺、すなわち南西諸島(琉 球弧)上にあります。 陸地間距離最長は、久米島‐宮古島間で約 240km。次いで与那国島‐台湾間の 100km 余。三番目が奄美大島‐ト カラ(横当島)間の 60km 弱。他は、(尖閣・大東両諸島を除く)全ての陸地間が 50km 以内に連なっています。 ちなみに一般には最も大きなギャップと認識されているらしい屋久島‐トカラ(平瀬)間は 30km 余です。

海深の最深は、沖縄本島‐宮古島間(慶良間諸島の文字の下あたり)で 1000m を超えます。次が奄美大島‐横当 島間(奄美大島の文字付近)で 900m 台。 行政上の沖縄県北端(位置的にはむしろ奄美に近く、以前は奄美鳥島と呼ばれていました)にある、この余り聞 きなれない「硫黄鳥島」は、三島列島(この地図の右上)からトカラ列島を経て連なる、阿蘇火山帯の南端の島 です。 位置的には徳之島に最も近く、沖縄県では伊平屋島(伊平屋村)に近いのですが、行政的には、そこからさらに 4 つの島の村(伊是名村、伊江村、粟国村、渡名喜村)を間に挟んで、久米島町に属します。

久米島町には、実はもう一つ“鳥島”があります。久米島の北 30km 弱に浮かぶ「久米鳥島」です。ここには、米 軍の射爆撃場があります。久米島周辺の米軍射撃基地といえば、反対側の沖縄本島寄りの渡名喜村の入砂島(出 砂島)が有名で、久米鳥島のほうは一般の人々にはあまり知られていないように思われます。

久米鳥島は、奄美鳥島、トカラ列島、三島列島などとともに、南西諸島の中で、最も大陸棚寄りに位置する島で す。これらの島々の西方のどこかに、日本と中国の国境があるわけです(双方で意見は食い違っていますが)。

ついでに、この一帯の無人島について少し述べておきます。大阪・神戸と上海を行き来するフェリー「新鑑真号」 は、その航路のちょうど中間地点で、三島列島西端の黒島のさらに西ににある「宇治群島」と「草垣群島」の間 を通り抜けます(現在は瀬戸内海航路に変更)。トカラ列島口之島の屋久島寄りには、灯台の建つ「平瀬」があ ります。同・中之島の西方の「小臥蛇島」と「臥蛇島」は、10 数年前まで人が住んでいました。トカラ列島南端 の「横当島」は結構規模の大きな島で、筆者は調査のため上陸して一人で一夜を過ごしたことがあります。それ に、沖縄県側の 2 つの“鳥島”が、大陸棚に面した、南西諸島中~北部の無人島です(種子島西方の馬毛島も無 人島ですが、やや東寄りに位置しています)。

筆者は 30 年余、中国と日本を行き来していますが、以前から非常に気になっていることがあります。中國では、 たとえどんなに小さな(単なるデザインに過ぎないような)地図にも、南沙諸島とその先の国境線が(たいてい 本土とは別枠で)必ず表示されています。その徹底は、感心する(というよりも、笑ってしまう)ばかりです。 おそらく、あらゆる地図は、それが表示されていないと、認められないのでしょう。

一方、中国側が「自国の領土」と、あれだけ強く主張している、尖閣列島(釣魚)と南西諸島の間には、国境線 の引かれている地図が、ほとんど見当たりません。むしろ「そこには国境線を引かないように」と国が推奨して いるのではないかと思えるほど、適当なのです。南沙における徹底ぶりと、対極的です。

ところで「久米鳥島」ですが、島の位置や形を確かめようとをヤフーの地図を括ってみました。すると、久米島 の北東海上の「琉球諸島」と書かれた「琉」の文字の横に、確かに島の影があります。

それで、その部分を拡大 してみたところ、島は忽然と消えてしまいました。もちろん偶然でしょうが、日本においても(久米鳥島をはじ めとした無人島を含む)南西諸島内側ラインの島々が、軽視されているような印象が否めないように思うのです。 デリケートな地域なので、なるたけ触れないようにしている、というのは穿ちすぎでしょうが、、、。